「あなたって家族のことは本当にどうでもいいのね」
現在仕えている教会で、初めて子ども祝福式をした日の午後、妻に言われた言葉です。祝福式では子どもたち一人ひとりの名前を読んで祝福を祈ったのですが、なぜか私は自分の娘の名前を呼び忘れてしまったのです。「1人も呼び漏らしてはいけない」という過度の緊張が娘の存在を忘れさせてしまったのですが、その裏には、教会で家族の存在を大切に考えていない、という私の大問題がありました。
それからの私は「教会においても家族を愛する」ことに〝挑戦〟するようになりました。それこそが信仰継承であり、また、家族の応援なくしては牧師業を続けられないと考えたためです。
今日は、そんな私の些細な〝挑戦〟を四つご紹介し、最後に原則的なことを申し上げたいと思います。
①家族と機嫌よく過ごす
牧師家庭に育った方から「土曜の夜と日曜の午後のお父さんが嫌いだった」と聞いた時から、特にこの二つのタイミングに気をつけるようになりました。もちろんそれ以外の時も。土曜の夜は家族と過ごせる時間は短くなりますが、その短い時間を家族と楽しむように心がけています。
②家族を下に見ない
日本文化には、自分の家族を下に見る良くない傾向があると思います。今は滅多に聞かれなくなった「うちの愚妻が……」という言い方はその最たるものでしょう。
私は、妻がお客様に出した手料理をお客様の前で褒めるようなことはしてきましたが、娘が生まれてからそれらができなくなりました。「うるさくして迷惑をかけている」という意識や、娘をネタにすることで簡単に笑いが取れることに気づいてしまったからです。妻から「それだと私は教会に居づらくなる」と言われ、意識を変えていこうと取り組んでいるところです。
③教会での家族の過ごし方に注文をつけない
我が家の娘は2歳と3歳ですから、うるさくしてしまうことも多々あります。他の信徒さんのご家庭に静かにすることを求めないのであれば、妻に対しても娘を静かにさせることを求めてはいけないでしょう。家族が教会で喜んでイエス様と過ごせることも私の牧会の大切な仕事と考えています。
④教会でも娘を可愛がる
家族が教会に到着した時に「よく来たね!」と歓迎するようにしていますが、これも、他の信徒さんのお子さんと同じようにしたいと考えているからです。その他、説教中に娘が講壇に来てしまうなら抱き抱えて説教することも信徒さんたちには許していただいています。
以上四つの取り組みにはもちろん失敗も多いのですが、少しずつでも成長していけるようにと努めています。
これらの取り組みのために、私が大切だと考えていることは「牧師業を偶像化しない」ということです。「パパのお仕事は神様に仕える大切なお仕事」とは事実かもしれませんが、「家族を愛する時間やエネルギーを犠牲にするほどに大切な仕事」であるのかどうかは考えなくてはいけないでしょう。義理の兄からの「○○教会の牧師は、君以外にも務まるけれど、家族の夫と父親は、君にしか務まらない」という教えが胸に響いています。
近藤真史という人間が神の目に尊く価値があるのは、私が忠実な牧師だからではありません。主イエスが私を生かすために十字架の上でいのちを注ぎ出してくださったからです。
次回は、このような聖書の捉え方「福音中心」について分かち合いたいと思います。
こんどう・まさし 1985年東京生まれ。クリスチャン家庭で育つも中学から教会生活をやめ、18歳でイエス様に戻る。Worship!JAPAN(旧ゴスペル音楽院)卒業。東京基督教大学修士課程終了。在学中に、千葉県千葉市にあるおゆみ野キリスト教会(日本長老教会)のメンバーとなり、夫婦関係の修復を得る。2021年より同教会牧師。趣味はベース演奏とポッドキャスト、サ活。