香港の民主活動家ら45人に最長10年の禁錮刑 戴耀廷氏「信仰と抵抗はコインの両面」

香港の高等法院(高裁)は11月19日、国家安全維持法に違反するとして逮捕・起訴されていた47人の民主活動家や元議員のうち45人に対し、懲役4年2カ月から10年の実刑判決を言い渡した。2020年、議会選挙のため民主派陣営が候補者を事前に絞り込む非公式の予備選を実施したことが、政権転覆をはかったと見なされた。世界的にも名前が知られている若き活動家の黄之鋒(ジョシュア・ウォン)氏(28)には4年8カ月、東京大学の大学院に籍を置く區諾軒(アウ・ノクヒン)氏(37)は6年9カ月、元香港大学准教授の戴耀廷(ベニー・タイ)氏(60)=写真上=は首謀者として45人中最長の10年の懲役刑となった。

このニュースは日本を含め世界の主要メディアでも大きく報じられたが、香港のキリスト教メディアに関しては、ウェブメディア「The Voice」がペンネーム「牧羊犬」による祈祷文を掲載したり、判決に対する法律の専門家による短いコメントを紹介したりした以外は、「時代論壇」(Christian Times)でも「基督教週報」(Christian Weekly)でも一切触れられていない。関係者によると、「教会でも牧師は誰もこのことについて語ろうとしないし、そもそも語ることができない状況だ」という。

今回の判決で最も重い判決を受けた戴氏は、熱心なキリスト者として教会の内外で知られており、本人もこれまで幾度も、自身の政治・社会運動とキリスト教信仰の関係について公に述べている。普通選挙を要求する民主化運動「雨傘運動」(2014年)の呼び水となった2013年の「オキュパイ・セントラル運動」(普通選挙の実施が確約されない場合には、香港の金融街の中環=セントラル=を占拠することを宣言した運動)は、戴氏が朱耀明氏(バプテスト教会引退牧師)と陳健民氏(当時、香港中文大学准教授)と3人で立ち上げた運動だったが、その発足会の会場にあえて教会を選び、「愛と平和によるセントラル占拠」はアメリカのキング牧師に代表される公民権運動家と同様に非暴力による「市民的不服従」(civile disobedience)であるとしていた。

このようにキリスト教色を帯びた同運動は決して教会が組織的に後押ししたものではなく、あくまで戴氏ら3人による発案ではあったが、少なくとも戴氏の中ではこうした抗議活動の根底にはキリスト教的理念があり、当時から「この世の法律や制度における不正義に対する抗議運動は、聖書の教える『正義を行うこと』に合致するだけでなく、『慈しみを愛すること』また『福音を宣べ伝えること』の一つの方法である」とまで語っていた。戴氏が2020年に出版した自伝的著書『愛と平和――未完の抵抗の旅』(未邦訳)では、「キリスト者にとって、信仰と抵抗はコインの両面のようなものである。その信仰は、不正義に抵抗しなければならい。また抵抗し続けることができるのは、その信仰のゆえに他ならない。抵抗なき信仰は自己中心であり、信仰なき抵抗は無力である」とも述べている。

戴氏は2014年の「雨傘運動」への参与をめぐり、2019年にも禁錮1年4カ月の実刑判決を受けたが、それに先立つ裁判の中で「もし、我々が有罪だとするならば、我々の罪名とは『香港がこのような苦難の時、なおも勇敢に希望を広めたこと』に他ならない。私は投獄されることを恐れず、恥ともしない。もしこの苦き杯を取り除くことができないのならば、私はそれを悔いなく飲み干すであろう」と陳述し、自身の苦難をキリストのゲツセマネの園での祈りに重ねていた。

戴氏は19年4月から4カ月間収監された後、同年8月に保釈されたが、20年には香港大学から解雇処分を受けている。この間、戴氏は香港の民主制度は「墓に葬られた」としながらも、なお民主制度の新たな確立の希望を捨てておらず、キリストによって復活させられたラザロになぞらえて、「ラザロ計画」(Project Lazarus)と題する活動も展開していた。

戴氏に対する懲役10年の判決の報に接し、2020年から台湾に移住している陳健民と朱耀明の両氏は、本紙独自のインタビューに次のように答えている。

2019年4月の判決1週間前(3月30日)に開催された街頭行進祈祷会で、十字架を抱えて歩く戴耀廷氏と、陳健民氏(左)、朱耀明氏(右)の3人

 冤罪での投獄は、1日でもあまりに長すぎる。47人による予備選挙は、同じ理念を持つ立候補者が悪質な競争を避けるために行った内部選抜の作業にすぎない。このような取り組みは体制支持派の政党でも同様に行われており、いかなる法律にも違反していない。47人の中には、立法会(議会)の過半数の議席を獲得した場合、財政予算案を否決し、行政長官を辞任・再選に追い込むことを検討していた者もいたが、この行為は「基本法」で許容されているものである。憲法が許す権利を行使したにもかかわらず、「国家転覆の意図」として裁かれることになったのは、自由と法治への理解を覆すものであり、「一国二制度」に対する残されたわずかな信頼すら消し去るものである。

戴耀廷氏は憲法学者として、平和的な方法で民主化運動の空間を拡大することに尽力してきた人物である。その彼が今、10年の刑を宣告されたことは、深い悲しみと怒りをもたらした。私は、戴耀廷氏と他の冤罪を抱えながら獄中にいる仲間たちが、永遠に香港市民の心に刻まれると信じている。皆さん、どうか彼らのことを忘れず、正義が訪れるその日を見守り続けてほしい。

 戴教授はイエス・キリストの愛に倣うことを願ってきた。それゆえに、彼は困難を顧みず、再び民主主義を追求する道を歩む決意を示していたのだ。彼は「苦難とは一種の鍛錬である。もし苦難の中で耐え抜くことができれば、その忍耐は鍛えられた品格を生み出し、私たちが自己の限界を超え、世の中を洞察し、永遠に触れることを助けてくれる。絶望的に見える状況においても、永遠の次元へ向かうことで希望を生み出すことができる。なぜなら、正義は最終的に勝利することを知っているからである。この希望があるゆえに、苦難の中でも退くことなく前進し続けることができる」と考えていた。私たちの兄弟である彼が直面する10年の投獄生活には、私たちの祈りの支えが必要だ。主なる神が彼に力と健康を与え、彼を守り、平安を与えてくださるよう祈ってほしい。

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