主の御名をあがめます。
皆様いかがおすごしでしょうか。MAROです。
本日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。
聖書のランダムに選ばれた章から思い浮かんだよもやま話をしようという【聖書からよもやま話】、今日は 旧約聖書、創世記の22章です。よろしくどうぞ。
創世記 22章14節
今日も、「主の山には備えがある」と言われている。
(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)
神様はアブラハムに命じました。「息子イサクを生贄にささげなさい」。
アブラハムは「え!?そんな殺生な!?」とはきっと思ったでしょうが、それでも「神様の言うことだからちゃんと従わなきゃ」と、イサクを山に連れていき、生贄に捧げようとしました。
すると神様は言いました。「はい!ストップ!!生贄ストップ!!やめ!やめ!中止!!生贄中止!!イサクを殺してはいけないよ!アブラハム、君がとことんまで私に従う忠義者だということがよくわかったから、これから君にも君の子孫にも、末代までものすごい祝福をおくるよ!!」
アブラハムは尋ねました。「とはいえ、生贄の山まで三日もかけて来てしまいましたし、このまま帰るのもアレですし、代わりに何を捧げればいいでしょう?」
神様は答えました。「そんなら、そこに雄羊が木に角を引っ掛けて動けなくなっているから、それを捕まえて生贄にしてくれればいいよ。」
神様は最初からイサクを生贄にする気はなく、最初からその雄牛を代わりの生贄としてそこに用意していたのでした。このエピソードから「主の山に備えあり」と、現代までクリスチャンがことある度に口にする言葉が生まれました。
何かを実行するとき「ああなったらどうしよう?こうなったらどうしよう?こんなことだって起こっちゃうかもしれない」と、あれこれ不安になるものですが、そんなときにこの「主の山に備えあり」という言葉は元気と勇気をくれます。祈りに従って、神様の御心により、神様のために行動を起こすとき、人間は何も心配しなくていいんです。すべて神様が良いように取り計らってくれます。神様には、人間には計り知れない、神様ならではの、まさに「異次元の」計画があるんです。
このクリスチャンプレスを始めるときも、「ああなったらどうしよう?こうなったらどうしよう?あれも足りない!これも足りない!」と不安は尽きませんでしたが、始めてみたらスタッフ一同、何度も何度も「主の山の備え」を経験しました。もちろんまだまだ足りないものも多々ありますが、それも本当に必要なときが来ればきっと神様が与えてくださることでしょう。人生は「主の山の備え」に期待してこそ、大きく開けるものです。
先日、僕の住んでいる自治体からささやかな「災害対策セット」が届きました。こういう「いざというときの備え」は大切なものです。僕も普段から非常食や避難用具を自宅に用意しています。でも、それと同じくらい人生において大切なのは「主の山の備え」を意識しておくことです。この二つが備わってこそ、人生は安心安全なものになるのかと思います。
それではまた。
主にありて。
MAROでした。
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