わたしがあなたがたに話すこれらの言葉は、あなたの人生にとって、決して枝葉末節のものではなく、付け足しのものでもない。あなたの生活の基準に関する話をしたいのだが、それは、家主が自分の家の改築を議論するような話ではないのだ。
わたしがこれから話す言葉は、人生の基礎そのものであり、人生が打ち立てられるべき土台である。あなたがこのわたしの言葉を生活の中で用いていくなら、その時、あなたはまるで岩の上に家を建てた賢い大工のようだと、言えるだろう。雨が降り、川が氾濫し、竜巻が襲っても、そうした大工が建てた家は、びくともしない。岩の上に固定されていたからだ。当然のことだ。」
「しかし聖書研究でだけ、わたしの言葉を使い、自分の生活に用いないなら、その時、あなたはまるで砂の上に家を建てた愚かな大工ようだ、と言えるだろう。嵐が吹き荒れ、波が襲う時、そうした家はトランプのカードを組み合わせて作った家のように崩れてしまうだろう。」
イエスがこう語り終えると、群衆は威勢よく拍手喝采した。このような言葉を一度も聞いたことがなかったからだ。イエスは言行を一致させていると、人々にははっきり分かった。 ―― その点においてイエスは、当時の宗教指導者と全く違っていたのだ! 群衆にとって、これまで聞いたどんな教えよりも、イエスの教えは素晴らしかった。
―― マタイによる福音書7章24~29節
*引用される「聖書の言葉」はピーターソンさんの翻訳・翻案を訳したものです。