Q.赴任した教会の慣習を変えたいと願っているのですが、牧師の考えをどこまで貫けばいいか悩んでいます。(30代・牧師)
教会の改革に燃えていました。着任早々の説教題が「老人の信仰をつぶせ!」と、過激でした。教会員のあきれ顔をよそに、礼拝順序を変更し、祈祷会は聖書研究会に、教会の伝統を無視し、信仰理解を批判し、洗礼のやり方も変えました。それが教会の改革だと思っていたのです。
反動はすぐに来ました。「説教が福音的でない」「教会の大切な伝統を壊している」「牧師は独裁者だ」――40年前の私です。改革どころか、対立と紛争を生み出しただけでの未熟なひとり相撲でした。
どの教会にも長年守り続けている伝統や習慣があります。それぞれの教会の信仰理解や歴史に根付いた組織や型式を持っています。それを無視して、牧師が自分の思いのままに教会を変えようとすることは間違っています。変革という名のもとに教会を私物化することにもなりかねません。
とはいえ、教会には改革すべきこと、変更すべき点もたくさんあります。礼拝の形式、集会の持ち方、役員会の構成や役割、教会独自の伝統と方式、しかしいつの間にかそれらが正当化され、固定化され、そして弊害を生み出していることも多いのです。
今、日本の教会は閉鎖的で、守旧的で、防御的になりつつあります。信仰の名のもとに、伝統や形式や規則の方が重視されています。変革や改革ができにくい時代です。しかし、誰かがやらなければ教会は変わらないでしょう。個々の教会から始めるしかありません。牧師の交代はそのチャンスです。
1年目、ノーチェンジ。2年目、ハーフチェンジ。3年目にフルチェンジ。あせることは禁物です。「あせらず、あわてず、あきらめず」です。それに牧師のひとり相撲はいけません。私の失敗の経験からです。ぜひ教会の改革に向かって大胆に歩み出してください。期待しています。え~っ、今の私ですか? この歳になると風呂屋の湯船です。「ゆうばかり……」
かんばやし・じゅんいちろう 1940年、大阪生まれ。同志社大学神学部卒業。日本基督教団早稲田教会、浪花教会、吾妻教会、松山教会、江古田教会の牧師を歴任。著書に『なろうとして、なれない時』(現代社会思想社)、『引き算で生きてみませんか』(YMCA出版)、『人生いつも迷い道』(コイノニア社)、『なみだ流したその後で』(キリスト新聞社)、共著に『心に残るE話』(日本キリスト教団出版局)、『教会では聞けない「21世紀」信仰問答』(キリスト新聞社)など。