Q.お祈りをする時に手を握ってくる牧師に対して、なかなか嫌とは言い出せません。(20代・女性)
うーん、わかります。私もなかなか嫌とは言えませんでした。ただし、私の場合は信徒さんが手を握ってくるという逆の立場でしたが……。「人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい」(ルカ6・31)。これは黄金律と言われるイエスさまの教えです。不思議なことによく似た教えが他宗教にもあります。たとえば「己の欲せざる所は人に施す勿れ」(『論語』)といった具合です。
でも、両者の間には決定的な違いがあります。イエス様は「しなさい」と他者に対して積極的な関わりを命じるのに対して、他は「してはならない」と消極的であることです。牧師さんは手を握り祈ることを、あなたが喜ぶと思っておられるのかもしれません。でもいくら良かれと思ってしてくださっていても、嫌な気持ちになることもありますよね。
その牧師さんが善意でされているなら解決は簡単だと思います。直接伝えるのが難しければ、メールでも、どなたか信頼できる方にお願いしていいので、嫌だと思っていることを伝えてみましょう。イエスさまの教えに従い「人の喜ぶことをする」のを目指している方ならば「嫌がることをしない」のは当たり前です。あなたに不快な思いをさせたことをわび、すぐにやめてくださるはずです。そして、あなたが喜びを持って信仰生活を送れるよう、別の形で積極的に努力してくださるでしょう。
心を合わせ共に祈ることはとても大切です。でもイエス様は、手を握らなければ祈りが聞かれないなんて言ってませんよ! 体が接触した際の感じ方は人によってさまざまですから、特に配慮が必要な事柄です。ましてや男女間や牧師信徒間ならば気を遣うべきでしょう。
嫌だと伝えた上で、もしその牧師さんが行為を止めなかったり、行為を正当化しあなたを責めたりするならば、それはもう立派なセクハラ・パワハラ・モラハラです。あなたとその牧師さんのために、そうではないことを「手を握らずに」心を込め祈ります。
やました・ともこ 福島県生まれ。同志社大学大学院神学研究科博士課程(前期)修了