2023年の宗教を取り巻く状況を振り返りつつ、「カルト的」団体だけでなく伝統宗教も抱える今日的課題、宗教メディアへの期待と要望などについて、専門分野の異なる3氏が語り合った。
【出席者】 *写真上から
・桜井智恵子 さくらい・ちえこ(関西学院大学大学院教授、教育社会学、本紙「論壇2.0」執筆者)
・塚田穂高 つかだ・ほたか(上越教育大学大学院准教授、宗教社会学)
・丹羽宣子 にわ・のぶこ(中央学院大学非常勤講師、宗教情報リサーチセンター研究員、本紙「宗教リテラシー向上委員会」執筆者)
■2023年の気になるニュース
――まずはそれぞれ、2023年の気になったニュースを振り返っていただくところから……。
丹羽 1年を振り返ると、もちろん統一協会、宗教2世問題は継続して注視していますが、気になったニュースとしては、不活動宗教法人をめぐる一般紙と宗教専門紙の一連の報道。もう一つは、LGBTQ関連のニュース。――キリスト教界で言うと『福音と社会』誌に載った一連の書評をめぐる動きも気になりました。やはり宗教はどうしても、括弧付きの「伝統的家族観」に近い立場で物を言いがちなところがある中で、同じ宗教の内部から異なるメッセージが発信されることは望ましい傾向だなと思います。他にも日蓮宗の青年会がレインドボープライドに出展したり、尼崎えびす神社でゲイカップルの神前結婚式が行われたりといった動きもいろいろありました。
塚田 この1年では、やはり統一協会の解散命令請求(10月)ですね。まだ請求しただけですし、それで諸問題が立ちどころに解決するわけではないので、一プロセスにすぎません。その点では、蓄積され、盛り上がった報道も、この一通過点で終わってしまうのではという危惧もあります。改めて問題を整理すると、一つはいわゆる「カルト問題」と言われるような、主に宗教が関わる人権侵害や社会問題。二つ目に、宗教と政治の関係の問題。三つ目が「宗教2世」問題。この三つが同時発生的に絡まり合いながら社会的に顕在化していったのが、2022年7月の安倍元首相銃撃事件以降、そしてここ1年も継続した流れです。しかし、その中でどれほど議論が深められ、社会の認識と問題の解決・改善が進んだかを考えると、まだまだ心もとない。
人権や自由の侵害に対しては批判や是正、解散命令のような処分も当然必要ですが、他方で原則としての信教の自由を守り、国などの介入はなるべく抑える。非常に難しいバランスが求められる問題ですが、そういう難問を考えさせられる場面がいくつかありました。宗教団体の政治活動も原則は自由ですが、そのあり方、内容が問われる。「宗教2世」問題も同様の構図ですね。親がしつけなど、価値観を教化することは原則自由である一方、行き過ぎると子どもの自由の侵害とか虐待にまで至ってしまう。こうした両立はさまざまな局面で課題になり得ますが、とりわけ宗教をめぐって今、噴出しているのではないでしょうか。
桜井 教育も福祉も社会的な包摂が限界に来ているという意味でリンクする話だなと思いながら聞きました。私はこの1年で、過去最多となった子どもの自死とグローバル資本主義のつながりが最も気になりました。この両者が切り離されて浅い議論で終わりがちですが、「負けないようにもっとがんばりなさい」という原理を内面化した結果、個々人が互いを排除し合って、それを包摂しようとする学校や地域社会から、自分はダメだと脱落していくという構図です。キリスト教界でも支援主義に偏りがちですが、その限界を思い知らされてきました。二つ目は、埋め込まれた暴力の問題です。私が学生だったころの川崎製鉄による公害輸出の問題から40年以上、福島の汚染水排出や、外国人労働者の問題に至るまで植民地主義的な排外思想という意味では、ほぼ同じ枠組みのまま来てしまっています。武器輸出の大幅緩和然り、ガザでの爆撃然り、沖縄の辺野古然り……。一つ目の自死の問題ともリンクする話ですが、ますます悩ましいなという印象です。
■組織論としての「宗教2世」問題
――塚田さんが編著者の一人となった『だから知ってほしい「宗教2世」問題』(筑摩書房)は、この問題が十分に理解されていないという思いがあって出されたと思うのですが……。
塚田 統一協会やエホバの証人のような新宗教や「カルト」視される教団だけの問題ではないという点は、かなり意識しました。もちろん程度の違いはありますが、あえて伝統宗教も切り離さずに取り上げ、宗教や社会全体の問題として考えてほしいと。「伝統」「当たり前」と思われてきたものが鋭く問われていて、今まで通りでいいのか、なぜそれをするのかといったことが、あちこちで露わになっているのだと思います。実はその「当たり前」自体も作られたもので、そんなに長い歴史もない。その一つとしての「2世」問題だとも考えています。
――丹羽さんは仏教界の事情もよく見聞きされていると思いますが……。
丹羽 継承の問題で言えば、仏教は基本的に出家主義の宗教なのですが、明治になってから教義との緊張関係を抱えたまま名実ともに世襲化されました。それがシステムとして資本主義的な近代化の流れに合致してしまったんですね。近現代の日本仏教では「家族」を基盤として稼働するシステムが強固に作用していた。さらにそこには跡継ぎを産む妻と、後継ぎとして生きることを親や檀家から求められる子の存在があります。その中で、ようやく形として見えてきたパンドラの箱のようなところもあると思います。現象や実態を説明する言葉も与えられ、仏教界の中で言いやすい雰囲気につなげていける機運も高まっていたはずなのに、それを開いてしまうと、今の宗門システムの根幹に関わる問題になってくる。なので、この間かなり慎重な物言いをしている印象があります。例えば経済的に厳しいので子どもに継がせるのは躊躇するとか、個人の問題に矮小化されがちで、大きな議論にはまだ展開できていません。信仰継承や子どもの信教の自由の問題という視点は乏しい。仏教関係者が「宗教2世」問題を語る上では、もう少し内省的な視点も必要だと思います。
最近では跡継ぎ候補である息子たちの絶対数が少なくなってきて、娘たちが継ぐようになっています。仏教界ではむしろ家族主義が強まっているようにしか見えなくて、社会全般で見ればこんなに家族というものが自明とされない時代なのに、逆に家族しか頼るものがなくなってしまっているのではないかと。
桜井 もはや宗教というより、家族と社会の問題だと思うんですね。大学で「家族と社会」という授業を担当しているんですが、その中で「2世」問題から考える「家族」の話をすると、みんなウチもウチもと盛り上がって、何度か講義するともうみんな立ち上がってくる感じなんです。自分の受けたあれは、実は暴力だったんだというように。
子どもオンブズパーソンとして子どもからの相談を受ける時、必ず親と子どもから別々に話を聞くんですが、いじめにしろ不登校にしろほとんど意見が違います。でも、世の中的には「保護者ファースト」なんですね。今、大阪市は、子どものいじめやトラブルがあったらすべて第三者委員会を設けますと謳って、すごい数の委員会と、たくさんの学者が動員されているんです。でも、その内容が「『保護者ファースト』でやってください」と。こちらがいくら子どもの意見を聞いても、でき上がってくる報告書では保護者の意見が中心とされているようです。それは私たちが「川西市子どもの人権オンブズパーソン」として志向してきたものと真逆です。
オンブズパーソンは、個別救済を制度改善につなげるという二つの柱で成り立っているわけですが、個別救済が全国に広がり、一方で制度改善につなぐものが欠落しているというのが、直近の私たちが感じていることです。「宗教2世」問題は組織論、つまり家庭内システムの問題で、それは現代社会の要請が作り出しているのだと発信して、制度改善につながる意見を形成していく必要があると思います。
(後編につづく)
【書評】 『だから知ってほしい「宗教2世」問題』 塚田穂高、鈴木エイト、藤倉善郎 編著 – キリスト新聞社ホームページ (kirishin.com)