「常軌を逸した行動」もよくよく考えれば自分たちの姿【聖書からよもやま話446】

主の御名をあがめます。

皆様いかがおすごしでしょうか。MAROです。
本日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。

聖書のランダムに選ばれた章から思い浮かんだよもやま話をしようという【聖書からよもやま話】、今日は 旧約聖書、 士師記の19章です。よろしくどうぞ。

士師記 19章29節

彼は自分の家に着くと、刀を取り、自分の側女をつかんで、その肢体を十二の部分に切り分け、イスラエルの全土に送った。(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)

とんでもなく恐ろしい記述です。バラバラ殺人です。しかも自分の側室を殺してバラバラにしてイスラエル全土に送ったというのですから常軌を逸しています。この男はどうしてこんなことをしたのでしょう。

彼はその側室と一緒に旅をしてギブアというベニヤミン族、つまりイスラエル民族の街に泊まりました。そこでギブアの人たちはその側室に暴行を加え、辱めました。彼はそのような酷いことがイスラエル民族の中で起こったということに憤り、それを広く伝えるために、その側室をバラバラにして各地に送ったんです。

・・・とはいえやりすぎ。というかどうかんがえてもやっぱり常軌を逸しています。その側室からしたら暴行された上に、やっと夫の元に帰って安心できるかと思ったら、その夫に殺されてしまうのですから、その気持ちを考えるとどうにもやりきれません。

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UnsplashHamZa NOUASRIAが撮影した写真

しかし、よくよく考えてみると僕たちにも似た心があるかもしれません。何かの被害者になったとき、その被害を大袈裟に喧伝して、味方を増やそうとするようなことが世の中を見ていますとしばしば起こっています。なんなら被害者の支援団体が自分たちの主張を強調するために、むしろ被害者を世の晒し者にしているような状況さえ、時折見られます。被害者を保護するため、被害を広く喧伝するために行うことが、かえって被害者をさらなる被害者にしてしまうようなことが、実際にたくさん起こっています。

もちろん、ここに書いてある出来事のように、被害者を殺してバラバラにするようなことは僕たちはまずしないでしょう。しかし一見「こんな常軌を逸したこと、僕たちには関係ない」と思えるようなことでも、よくよく考えてみれば自分たちも少なくとも同じベクトルのことはしばしばしている、と気付かされることも多々あります。聖書にたびたび記されているこういった「常軌を逸した」人も、決して僕たちに無関係ではないんです。聖書に「僕たちには関係ない」なんて言える人は一人も出てこないんです。

それではまた。

主にありて。
MAROでした。

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横坂剛比古(MARO)

横坂剛比古(MARO)

MARO  1979年東京生まれ。慶応義塾大学文学部哲学科、バークリー音楽大学CWP卒。 キリスト教会をはじめ、お寺や神社のサポートも行う宗教法人専門の行政書士。2020年7月よりクリスチャンプレスのディレクターに。  10万人以上のフォロワーがいるツイッターアカウント「上馬キリスト教会(@kamiumach)」の運営を行う「まじめ担当」。 著書に『聖書を読んだら哲学がわかった 〜キリスト教で解きあかす西洋哲学超入門〜』(日本実業出版)、『人生に悩んだから聖書に相談してみた』(KADOKAWA)、『キリスト教って、何なんだ?』(ダイヤモンド社)、『世界一ゆるい聖書入門』、『世界一ゆるい聖書教室』(「ふざけ担当」LEONとの共著、講談社)などがある。新著<a href="https://amzn.to/376F9aC">『ふっと心がラクになる 眠れぬ夜の聖書のことば』(大和書房)</a>2022年3月15日発売。

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