「アメイジング・グレイス」が教会、コンサート、CMにも氾濫する250年後の現在

元英国国教会の聖歌隊員で、ヨーク大学の歴史学教授であるジェームズ・ウォルヴィン氏は、奴隷制の歴史を研究するためアメリカに渡る途上で初めて、1773年に元奴隷商人ジョン・ニュートンによって紹介された賛美歌「アメイジング・グレイス」に出会った。

以来、新刊『アメイジング・グレイス その愛される賛美歌の文化的歴史』の著者であるウォルヴィン氏は、今年で250周年を迎え、日曜礼拝の定番となり、説教者、演奏家、大統領たちによって翻案され、採用されてきたこの賛美歌に没入してきた。

ウォルヴィン氏は最近、「エルヴィス・プレスリーのバージョンはあまり心に響かなかった」と、米国議会図書館の「アメイジング・グレイス」コレクション(ジョン・ニュートンによる何百もの賛美歌のうちの一つである「アメイジング・グレイス」の3千超の録音を含む)を見学した後に語った。

「1960年代のオーケストラ・リーダー、マントヴァーニのバージョンは、確かに好みではなかった。ジャニス・ジョプリン(1960年代のアメリカの伝説的女性ロックシンガー)のバージョンを聴いて驚いた。ジャニス・ジョプリンと『アメイジング・グレイス』なんて、誰が思いつくだろう?」

何千ものバージョンの中で、ウォルヴィン氏はバス・バリトンであるポール・ロベソンのバージョンを特に気に入っているが、「ソウルの女王」アレサ・フランクリンや、「ソウェトの合唱団による、容易に忘れられないバージョン」も挙げて、それらはすべて「独自の非常にユニークな歌い方」だと話している。

長年クリスチャンではなかったが、自らを「キリスト教的道徳観に染まっている」と語るウォルヴィン氏(81歳)はインタビューで、その賛美歌と作曲者、バラク・オバマ元大統領がその力を利用した「衝撃的な出来事」について語った。

彼へのインタビューを「レリジョン・ニュース・サービス」が報じた。

――『アメイジング・グレイス』はなぜ250年も歌い継がれてきたのでしょうか?

「アメイジング・グレイス」がアメリカ、特にアフリカ系アメリカ人のコミュニティで生き残ったのは、その言葉が、苦しみや苦しみから抜け出した人々の人間的な状況を語り、その音楽が、心を癒やす一種の呪術的なリフレインを持っているからです。重要なフレーズ、つまり言葉や詩と、魅惑的な楽曲がユニークに組み合わさっている。

――奴隷商人だったジョン・ニュートンが、奴隷にされた人々やその子孫が大切にしている賛美歌を書いたという事実をどう説明しますか?

若い人たちは、奴隷制度の残忍さと暴力に染まった男が書いた、キリスト教的に大きな意味を持つ賛美歌があるという事実を理解するのが難しいと思います。それは歴史的なパラドックスです。しかし、それは賛美歌を超越した広がりを持っています。当時、大西洋の両岸で何百万人もの人々が、何らかの形で奴隷制度と関わりがありましたが、彼らは敬虔なクリスチャンであり、神を畏れる人々であり、自らの信仰とアフリカ人に対する行動に矛盾がないと見ていました。そしてそれが、途方もなく理解するのが難しいことの一つなのです。

――ニュートンは小教区を指導し、賛美歌を分かち合うことができるようになるまで、英国国教会の司祭になろうと何年も費やした、と書いています。では、この歌は国際的な舞台には上がらなかったのでしょうか?

はい、それはジョン・ニュートンの忍耐強さを物語っています。牧師になるには、オックスフォードかケンブリッジのいずれかに進学しなければならなかったのですが、彼はそのどちらにも縁がありませんでした。彼は正式な教育を受けていなかったのです。しかし、深い学識と信仰心がありました。彼は、入学するために組織や教会と戦わなければなりませんでした。

――ほとんどの歌詞は250年前のものですが、今日私たちが最もよく知っている曲は新しいものです。それはどのようにして生まれたのでしょうか?

今日、私たちが『アメイジング・グレイス』から連想するメロディーは、ニュートンが1772年12月に作詞した後60年間、人々が歌っていたものではありません。私たちは、アメリカの奥地で民謡を録音した親子であるローマックス一家から、人々が驚くほど多様な歌を通してこの歌詞を歌っていたことを知っています。しかし、私たちが知っているのは、1830年代に歌詞と一緒になった曲であり、それが強力で永続性のあるコンビネーションを実際に作り出しているのです。

――ラジオやレコーディング産業が発展するにつれ、賛美歌の地位が高まっていったことをあなたはトレースしています。頂点はあるのでしょうか? ひょっとしたら、2015年にオバマ大統領がマザー・エマニュエル・アフリカン・メソジスト・エピスコパル(監督制)教会のクレメンタ・ピンクニー牧師への弔辞で歌ったこととか?

オバマ大統領がしたことは、アメリカにおけるこの賛美歌の親しみやすさと人気を利用することだったと思います。オバマ大統領は、特に喚情的な瞬間にこの賛美歌を歌えば、チャールストンのアフリカ系アメリカ人の聴衆の支持を得られることを知っていました。彼が歌い始めると、それはまるで自然発生的なもののように見えるし、オバマ大統領の歌声が良いとは誰も言わないでしょう。しかし、それは驚くべき瞬間です。オバマ大統領の後ろにいる聖職者たちが機に臨んで立ち上がり、バックミュージシャンたちが、楽器を並べるために奔走し、大統領と一緒に働いています。彼は会衆が彼に従うことを知っていたし、2015年までに「アメイジング・グレイス」が事実上、第二の国歌になっていることも知っていました。それを知らない、それについて知らないまたはそれを認知していない人はほとんどいないのです。

――広告主が「アメイジング・グレイス」を使用していることを指摘されていますね。いくつか例を挙げていただけますか?

  人々はキャンディーを売ります。ドーナツを売ります。『アメイジング・グレイス』をバックに葬儀プランを売ります。人々は気づかないこともありますが、無意識のうちに音楽が流れていて、その音楽が人々をなだめ、宣伝されているものに対する感謝の気持ちを抱かせるのです。

――「アメイジング・グレイス」は公民権運動のサウンドトラックの一部でした。特にキング牧師の人生において、この曲はどのような役割を果たしたのでしょうか?

  長く過酷な日々の終わり、疲れ果て、あらゆる種類の恐ろしい暴力に脅かされ、夕方にはくつろいでリラックスしようとしていたとき、マヘリア・ジャクソン(アフリカ系アメリカ人女性ゴスペルシンガー、世界で最も影響力のあるゴスペルシンガーの一人、米国で最も強力な黒人女性、公民権運動に積極的にかかわり、キング牧師の葬儀でも歌った、キング牧師の朋友)は電話で彼に「アメイジング・グレイス」を歌ったことでしょう。これがジャクソンとキングという2人の人間に対する並外れた洞察でないとしたら、私には何がそうなのか分からない。アメリカの偉大なゴスペル・シンガーの一人と、アメリカの偉大な指導者の一人が、「アメイジング・グレイス」で一つになったのです。

――あなたが称賛する「アメイジング・グレイス」の演奏は数多くありますが、1月6日の暴動参加者たちが「アメイジング・グレイス」の数行を使用したことを、あなたは「多くの人に愛されているアメリカの歌の恥知らずなハイジャック」と呼んでいます。

群衆の一部が賛美歌を使おうとしたが力尽きたというのは興味深いです。最初の一節のあとは誰も歌詞を知らなかったのです。

――250周年をどのように祝いましたか?

英国バッキンガムシャーのオルニーで、この曲が作られ、1773年の元旦に初演された場所で、記念式典が行われました。私はそこにいました。いまだこの小さな愛らしい教会――ジョン・ニュートンが主任牧師だった――が存在するこの小さな村で、その賛美歌について話をしました。私は今年の祝賀会の最後に話をするつもりです。今月初め、ヨークのケアホームで、たった12人を前に話をしました。老人のほとんどは、その理由がすべて明らかなのであまり警戒していませんでしたが、彼らは私が「アメイジング・グレイス」について話すのを聞きたがっていました。

(翻訳協力=中山信之)

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