プロティノスの逸話:哲学と「絶望」との関わりを探る
アウグスティヌスを始めとする四世紀の哲学徒たちにとって、「プラトン派」、すなわち新プラトン主義の哲学は、この上ない重要性を持つものでした。
「わたしはこのシンプリキアヌスにわたしの迷誤と彷徨の次第を語った。しかしわたしが、かつてローマで弁論術を教え、のちにキリスト者となって死んだと聞くウィクトリヌスがラテン語に翻訳したプラトン派の諸書を読んだと語ったとき、シンプリキアヌスは、わたしが他の哲学者たちの書に触れなかったことを喜んだ。かれによればこれらの書物は『この世の浅い知恵に従って』、虚偽と欺瞞に満ちていたが、かのプラトン派の書物はあらゆる仕方で神とその御言の信仰に導くものであった……。」
ところで、この派の創始者であるところのプロティノスに関しては、哲学の営みと「絶望」のモメントとの関わりについて考える上で、非常に示唆的なエピソードが伝えられています。今回の記事では、彼の弟子のポルピュリオスが書いた伝記の言葉に耳を傾けつつ、この点をめぐって考えてみることにします。
「その逸り気は英知的状態からではなく、一種の気鬱病から来たものである」:プロティノスが、弟子に語りかけた言葉
長年プロティノスのもとで学んだポルピュリオスは、現在は『プロティノス伝』と呼ばれるのが通例となっている書物において、次のようなエピソードを伝えています。
『プロティノス伝』における、ポルピュリオスの言葉:
「またあるとき私ポルピュリオスが、この生から逃れよう(自殺しよう)と考えていたのを、彼が感知して、家にいた私の前に突然現れて、その逸り気は英知的状態からではなく、一種の気鬱病から来たものであると言って、転地するよう勧めた。そこで私は彼のことばに従って、シチリアにおもむいた。有名なプロポスという人が、リリュパイオンのあたりにいると聞いたからである。そしてその結果、私自身はそのような逸り気から免れたが、同時に臨終までプロティノスのもとに留まることを妨げられたのである……。」
事態を二点に分けて整理してみます。
① プロティノスは、彼の弟子のポルピュリオスが自殺しようとしていることを見抜き、それを止めました。山の奥深くの泉から清らかな水が湧き出てくるように、すべての存在者は、万物の根源であるところの〈一者〉から流れ出てくるというのがプロティノスの哲学の根本直観に他なりませんでしたが、『プロティノス伝』の記述によるならば、彼は決して現実から遊離するだけの夢想家であったわけではなく、人間の心理にも深く通じた練達のモラリストでもあったようです。この小著には、周囲の人々に対する彼の観察眼の鋭さを伝えるエピソードが他にもいくつか記されていますが、この場面においても、弟子の心の深いところで生まれつつある動きを察知したプロティノスが、予想に反して家の前に「突然」現れて、自殺することを制止したと記されています。
② そして、この場面におけるプロティノスの言葉は、哲学の言葉はその本質からして「滅びの穴」であるところの絶望から抜け出ることを試みつつ、命そのものの方へと向かうものであることを示していると言えるのではないか。彼は、自殺することへのポルピュリオスの願望は「英知的状態」から出たものではありえず、「気鬱病(メランコリケー)」から出たものに他ならないと弟子に語りました。「死に至る病」であるところの絶望はどこまでも根が深く、容易には打ち克ちがたいものであるとしても、真の知恵なるものがもし存在するとすれば、その知恵はあくまでも「幸福」の方へと向かってゆくもののはずである。きわめて控えめな語り口ではありますが、弟子のポルピュリオスはこうして、彼の師が自らの命を救ってくれた出来事を伝記の内に書き残すことになりました(cf. 行間を読むことから教えを引き出すという作業を個々の読者に委ねるという意味で、古代の書物というのは一般に、この上ない読解の鍛錬の素材を提供するものであると言える)。
真実の知恵の探求は、「幸福」という概念を手放すわけにはゆかないのではないか?:古代から現代へ
問い:
思索の営みには、「絶望」からの脱出口を見出だすことが果たして可能であるのか?
哲学的な気質を持って生まれてくること、あるいは、哲学の道に深入りしてゆくことは、いわゆる「善き生」への可能性に通じているだけではなく、一つの危険をもはらんでいるのではないだろうか。なぜなら、自分自身の存在あるいは実存を問いただしつつ、問うべき問いを根底まで問うということは必然的に、「絶望」の問題圏の近くへと身を近づけてしまうことをも意味しうるからです。命の根源そのものを問い直す営みである哲学は、「滅びの穴」とすれすれのところで「生きることの意味」を問わざるをえないのであって、だからこそ、アウグスティヌスと同じように探求の道を歩む人間は、「哲学することの危険」をもどこかで認識しておく必要があるのではないか。今回の記事で見たポルピュリオスの場合、弟子の危険を前もって察知してくれる師を持っていたこと、彼自身もまた、自らの内に閉じこもることなく〈他者〉の言葉に耳を傾けることができたことが、彼をかろうじて自殺の可能性から救い出したと言えるのかもしれません。
ポルピュリオスのエピソードを通して改めて見えてくるのは、哲学の営みというのは「生きるべきか、死ぬべきか? To be, or not to be?」という根底的な問いを前にして、あくまでも「生きること」の方へと向かい続けてゆく不断の試みに他ならないということなのではないだろうか。
「その逸り気は英知的状態からではなく、一種の気鬱病から来たものである。」ポルピュリオスの師であるプロティノスにとって、英知とは、生きることそれ自体の奥深い泉へと遡ってゆく「内面への還帰」のモメントにこそ向かってゆくものなのであって、自殺するというのはあくまでも「逸り気」、すなわち、「滅びの穴」に落ち込むことを治療薬と取り違えてしまう思惟の誤りに他なりませんでした。「神を愛し、隣人を自分自身のように愛する」という生き方に到達したアウグスティヌスその人も含めて、古代の哲学は、実存することとは「生きることの幸福」を目指すものであるという立場に踏みとどまり続けたのではないだろうか。現代の思考には、「生きることは『幸福』を目指す」という根本的な前提を前提としてそのまま受け入れることが、もはや難しくなってきている。現代の人間は「私たちはいかにして『幸福』に到達できるか?」と問う代わりに、「私たちは生まれてくるべきではなかったのではないか?」と自問しているというわけなのであって、このこと自体は深い歴史的必然性に基づくものであるとしても、哲学の営みには、「幸福」という概念を手放すことが果たして可能なのだろうか。むしろ、哲学の営みがその語源の指し示す通りに「真実の知恵の探求」である限り、この道を行く人間は、必ずどこかでこの「幸福」なる主題に向き合うことを求められるのではないだろうか。自殺をめぐるポルピュリオスのエピソードは、彼の師が残した言葉に耳を傾けることを通して、思索が目指し、向かってゆくべき方向について、改めて考え直させる機縁を提供するものであると見ることもできそうです。
おわりに
「英知を守る人は幸いを見出だす」と信仰の書は語っていますが、私たちが生きているこの現代においては、古代の哲学にとっては全ての探求の前提であったところの「幸福」なる概念がもはや自明なものではなくなり、それに代わって、「絶望」のモメントがある種のオブセッションとして浮かび上がってきていることも確かです。私たちとしては引き続き、『告白』におけるアウグスティヌスの探求の道のりをたどってみることにしたいと思います。
[この一週間が、平和で穏やかなものであらんことを……!]