【哲学名言】断片から見た世界 アウグスティヌスの友情

親しい友を持つことは、私たちの人生にどのような影響をもたらすか

若い頃の親友というのはその後の人生に対しても、大きな影響を与え続けずにはいないものです。私たちがその前半生を追い続けている、青年アウグスティヌスの場合にもまた、このことは当てはまっていたもののように思われます。

「その年月の間に、わたしははじめてわたしの生れたタガステの町で、弁論術を教えるようになっていたが、00学問の交わりによって、わたしと同じ年頃で、ともに青春の花の咲きほこる一人の非常に親愛な友を得た。[…]わたしたちの友情は同じことに励む熱情に暖められて、まことに甘美なものとなっていた……。」

同じ町に生まれたために、昔からよく遊んではいたこの友と再会することによって、二人の友情は「まことに甘美なものとなって」いました。今回の記事では、この二人の関係を通して、友を持つことの意味について考えてみることにしたいと思います。

実は、恋人との同棲生活を開始していたアウグスティヌス

まずは本題に入る前に、もう一人、別の人物との関係について述べておかなくてはなりません。アウグスティヌスは20代の初めごろから、一人の女性と恋に落ち、正式な婚姻関係を結ぶことのないままに、彼女との同棲生活を送っていました(!)。

後々には類まれな聖人と見られたほどの人でしたから、「同棲」とは言っても当然、清く正しい生活をあくまでも守り続けており、たまに手をつないでお互いに「ポッ」となってしまう位で、プラトニック・ラブの境界線を越え出るということはもちろん、決してありませんでした……と書いておきたい気持ちは山々なのですが、実際には、アデオダトゥスちゃんという名前の可愛いベイビーが誕生しています。当時のアウグスティヌスが信じていたマニ教の教義においては、男女間での好ましからざる行為は厳しく禁じられていたはずなのですが、その辺りのことは決意性と共に脱構築したとでもいいますか、要するに、うやむやにしてごまかしたようです。良くも悪くも、自分自身を突き動かすフィーリングに対して常に正直であり続けたというのが、アウグスティヌスなる人物の生涯の特徴となっています。

この女性との関係に関して、これ以上のことは『告白』の物語のはるか後になるまで触れられることはないので、本題に戻りましょう。20代のアウグスティヌスは、何から何まですべてを分かち合うことのできるような、親愛な友を得ました。そして、この友情は彼のその後の人生の道のりにとっても、非常に特別な意味を持つことになります。

友情とは何か?:アリストテレスの言葉を通して考える

それにしても、友情なるものの本質とは一体、どこにあるものなのでしょうか。ここでは、この頃のアウグスティヌスも熱心に読みふけったところの哲学者である、アリストテレスの言葉を通して考えてみることにします。

アリストテレスは『ニコマコス倫理学』第九巻において、私たちが友情において最も好ましく感じるのは、「生を共にすること」なのであると言っています。つまり、友というものは私たちに対して、「生きているのはわたし一人だけではない」という、喜びに満ちた安らぎの感情を与えてくれる存在に他ならない。友の存在は私たちを、実に自然な仕方で「開かれた生」の方へと連れ出してくれるということです。

それぞれの人間には、「これをしている間は、生きている実感を最も力強く感じられる!」というような、各人にとっての最も好ましい活動が存在しています。それは、スポーツをすることだったり、音楽を聴くことだったり、あるいは、哲学をすることだったりするかもしれませんが、友情はこうした「お互いが愛してやまない、心の底から大切であると言える活動」を共にする時にこそ、最も喜ばしいものとなります。アリストテレス自身の言葉を引くならば、「いずれもそれぞれ人生における最も愛することがらを営みつつ、日常を共にするのである」というわけです。

アウグスティヌスと彼の親友とは、「共に学問をすること」によって結ばれていました。つまり、一緒に遊んだり、冗談を飛ばし合ったり、恋の話に花を咲かせたりしながらも、互いに学んだことを分かち合ったり、共に同じ一冊の本を読んだり、時には人生の真実のあり方について熱っぽく語り合ったりすることに、何よりも大きな喜びを感じていたのです。大切な人と共に過ごす時間のうちで言葉にして言い表したことは、たとえその二人の間の関係に何があろうとも、その人自身のうちで静かに流れ続けてゆきます。この関係は、後にアウグスティヌスが自分自身の人生を「真理の探求」という浮世離れした営みに捧げることを決意してゆく上で、この上なく大きな役割を果たすことになるはずです。

おわりに

「わたしの魂は、かれなしに生きることができなくなっていた。」『告白』においてこのように語られている友情はしかし、彼らが深い友情を結び始めてから一年も経たないうちに、突然の終わりを迎えることになります。それは、今ではもうその名も知られていない親友が病に倒れて、若くしてこの世を去ることになったからです。次回の記事では、この友人の死が青年アウグスティヌスの心にもたらした影響について見てみることにしたいと思います。

[アウグスティヌスの『告白』は、彼がついに回心の出来事にたどり着くまでに起こった、様々なものとの出会いについて語っています。それは未知の本であったり、虚栄の世界であったり、あるいは、自分自身の欲望の闇であったりしますが、今回の箇所で彼が出会ったのは「友情の限りない喜び」にほかなりませんでした。記事の中ではアリストテレスの友情論を取り上げましたが、現代の若者たちが親友と一緒にお気に入りのDVDを見たり、インターネット上で待ち合わせてゲームをしたり、あるいはディズニーランドに行って、乗り物ではしゃいだりする時にも、昔と変わることなく「生を共にすること」こそが求められていることを思うと、友情なるものの核心に迫ったアリストテレスの解明の見事さを思わされます。ともあれ、アウグスティヌスの方に話を戻すと、後に四世紀を代表する思想家になる運命を背負った青年がこれから何を経験することになるのか、引き続きたどってみることにしたいと思います。]

 

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