【映画評】 空襲とは何か。 セルゲイ・ロズニツァ《戦争と正義》2選 『破壊の自然史』『キエフ裁判』

空襲とは何か。

史実映像の編集によるアーカイバル・ドキュメンタリーの名匠セルゲイ・ロズニツァが、また新たな傑作『破壊の自然史』を世に送り出した。政治家や軍人らの演説と、眼下に敵都市を睥睨する爆撃機。軍需工場で働く市民の日常景色と、瓦礫の山と化した街景色。そこに映り込むのは敵と味方の区別ではなく、主役は人間個人でも集団でもなく、ただ事象としての空爆こそが本作の主人公となっている。

 「炎の餌食」「宿命の夜」「ごうごうと燃えさかる」「地獄がはじまった」「われわれは地獄を見た」「ドイツの都市を襲った怖ろしい運命」といった一連の表現が用いられるや、潰滅の極限における想像を超えた現実は生色を失ってしまうのである。こうした表現の効能は、理解を絶する体験に蓋をして、毒消しをすることにある。(略)建物、樹木、住民、ペット、家財道具もろとも数時間のうちに都市がまるごと燃えて無くなるということは、運よく逃れ得た人々の思考や感覚の許容量を疑いなく越えていたであろうし、思考や感覚の麻痺を起こさずにはいられなかっただろう。個々の証言は、それゆえに額面通りに受け取ることはできない。概観的・人為的な視点から開けてくるものを補う必要があるのである。(W・G・ゼーバルト 『空襲と文学』p.28~29)

『破壊の自然史』を製作するにあたりロズニツァは、ドイツ人作家W・G・ゼーバルト著『空襲と文学』を参照する。原題を“Luftkrieg und Literatur”、英題を“On the Natural History of Destruction”すなわち『破壊の自然史において』とするこの本でゼーバルトは、戦後のドイツ語文学では無差別爆撃の被害が焦点化されずに来た不毛を突く。ロズニツァはこのゼーバルトの目線を、英国ドイツ両国の兵器生産の現場や政治家の演説を等価に並べることを通じて、無用の説明なしに映画へ取り込むことに成功する。さらには研ぎ澄まされたその編集技術により、第二次世界大戦における欧州戦線の対立構図を換骨奪胎する目線の先へ、自ずとウクライナのマリウポリやシリアのアレッポさえも連想させる風刺の痛烈。これは真にいま観られるべき映像だと、素朴に心服させられる。

 季節、天候、観察者の立ち位置、近づいてくる飛行編隊の轟音、赤く照らされた地平線、市を脱出してきた人々の心身状態、焼け焦げた壁、不思議にもそのまま立っている煙突、台所の窓の前に置かれた物干しの洗濯物、無言のベランダになびいている破れたカーテン、レース編みのカバーを掛けたフラシ天のソファ、そのほかの永遠に失われた物たち、それらの埋まっている瓦礫、瓦礫の下で生まれて蠢いているおぞましい生き物、ふいに香水の匂いをもとめる人間の欲望。一九四三年七月の夜半ハンブルクでなにが起こったかを、少なくとも誰かひとりは書き留めなければならない、という倫理的命令が、大幅な技巧の排除につながっている。耐爆の地下室では、扉が開かなくなり、両隣の部屋に貯蔵してあった石炭が燃えたために、中の人々が蒸し焼きになった。そういうことが起こったのだ。「彼らはみんな、熱い壁から離れようと地下室の中央へ逃れていた。そこに折り重なって倒れていた。遺体は炎熱のためにふくれ上がっていた」。(『空襲と文学』p.51)

一方、ロズニツァの同時公開作『キエフ裁判』は、ナチス高官らを裁く軍事法廷を描く。東京裁判やニュルンベルク裁判に比べ知名度の低いそれは、独ソ戦時のナチの蛮行を暴く名目に戦後ソ連の内政上の思惑が結びつく〝人道的報復〟のショーケースと化していた。昨年日本公開もされたロズニツァ2021年作『バビ・ヤール』でも、1941年9月ナチス占領下キーウ郊外の窪地で、ユダヤ人3万超が2日のうちに虐殺された事件が主題とされ、同じキーウ法廷のシークエンスは数多く登場した。それに比べ今回の新作『キエフ裁判』においては、裁判そのものの全体像へ視点を移すことで、裁判過程が戦勝国の都合で左右される欺瞞を射抜く。占領政策の都合や覇権国家の鍔迫り合いが水面下で審判へ影響する秀作映画『東京裁判』と比較鑑賞するのも良いだろう。

また『キエフ裁判』終盤においては、ロズニツァ2021年作『バビ・ヤール』にも描かれた、キエフ(現キーウ)のカリーニン広場における公開処刑が再び登場する。群衆の熱狂に包まれた広場の中心で、ナチス高官らが一斉に絞首刑へ処される実写映像は凄絶だ。そしてこの《カリーニン広場》こそ、2004年のオレンジ革命および2014年のユーロマイダン(尊厳の革命)の主舞台となった現《独立広場》であるということ。つまりは独立後ウクライナにおける自由の象徴である広場が、かつてキーウ市民が嬉々として集団処刑に興じた場そのものであることの皮肉により、両作のラストを一層際立たせる。こうしたロズニツァのウクライナに対してさえ譲歩のない鋭い姿勢はむろんのこと、ベラルーシ生まれウクライナ育ちのロシア語話者であり、現状ウクライナ映画界から追放され、リトアニアを拠点に映画製作へ打ち込む彼の立ち位置に由来する。

皆が気忙しさの中を暮らす現代にあってなお、できるかぎり多くの人々に観てほしいと感じさせる映像に出逢うことは、大量の配信映画ドラマやSNS投稿動画群にとり囲まれた今日稀である。この夏の場合はそれが、金のかかった大作ではなく第二次世界大戦時の都市爆撃をテーマとするドキュメンタリー映画であったことの意味を考える。それは今日なお為されゆく空襲を、誰も止められずにいるという現実を考える意味に重なる。

(ライター 藤本徹)

セルゲイ・ロズニツァ《戦争と正義》ドキュメンタリー2選
『破壊の自然史』 “The Natural History of Destruction”
『キエフ裁判』 “The Kiev Trial”
公式サイト:https://www.sunny-film.com/warandjustice
2023年8月12日より全国順次公開中

【引用参考文献・資料】

W・G・ゼーバルト 『空襲と文学』 新装版 白水社 2021
小林正樹監督作 『東京裁判』 “International Military Tribunal for the Far East” 1983

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