懺悔する虐殺者の孫が拓いた赦しと和解の道 洪 伊杓 【この世界の片隅から】

最近、全祐院(チョン・ウウォン)という27歳の若者が韓国社会で注目された。彼は、1979年の軍事クーデターに続き、1980年5月18日から全羅南道光州の市民を虐殺して政権を奪取した新軍部独裁者・全斗煥(チョン・ドファン)氏(韓国の第11・12代大統領、1931~2021年)の孫である。全斗煥氏は生涯、市民虐殺や民主化運動弾圧などについて自分には何の責任もないと主張したが、最近90歳で死亡した。多数の人々が彼のために命を失ったが、彼は天寿を全うし、今も全氏一家は隠しておいた財産で贅沢三昧な生活を続けている。

そんな中、突然米国で暮らしていた孫の全祐院氏がYouTubeを通して祖父と自分の家が犯してきた罪と堕落を暴露し、懺悔と反省のメッセージを伝え始めた。人々の関心を一身に浴びる彼は、2023年3月31日に、全氏一家の一員としては初めて光州を訪問し、丁寧に犠牲者の遺族たちに謝罪した。「私の祖父は光州で虐殺した罪人であり、私も罪人です」「醜悪な罪人を温かく受け入れ、謝罪する貴重な機会を与えてくださってありがとうございます」 「来るのが遅くなったことを、心より謝罪します。遅く来るほどに、私の罪を知り、反省しながら生きていきます」「これから義(ただ)しく生き、私が感じる責任感を(国民が)確認できるように、神様の前で堂々とした人になれるよう悔い改め、反省しながら生きていきます」

全祐院氏は記者団との質疑応答で、今回の謝罪の直接的な契機としてキリスト教の教会でのボランティア活動に言及した。昨年末から米国で通っていた教会での信仰生活によって5・18事件の真相と自らの罪を知ることになったと。「羊の仮面をかぶったオオカミに囲まれてこれまで育ってきた。自身も卑劣なオオカミのように生きてきました」「今は私がどれほど大きな罪を犯した人間なのか分かりました。私が義人であるからではなく、罪悪感が大きすぎてこのような行動をするのです」

光州を訪ねた彼は、5・18民主墓地で最初の犠牲者であった聴覚障害者の金ギョンチョル氏の墓碑や行方不明者たちの墓碑を参拝しながら着ていたコートを脱いで碑石を拭いた。墓地の芳名録には、「私という闇を光で照らしてくださって、心より感謝申し上げます。民主主義の真の父は、ここに葬られているすべての人々です」と書いた。「闇」(罪と罰、地獄)にいた者が「光」(赦しと和解、天国)へと向かってきた。「民主主義の真の父」を光州の英霊であると語った部分について、彼は「民主主義の父は誰ですか? 私は夫(全斗煥)だと思います!」とかつて述べた祖母・李順子氏による2019年の妄言を指摘したものである。

1980年5月に軍人によって犠牲になった故・文ジェハク氏の碑石を、着ていたコートで拭く全祐院氏(2023年3月31日、韓国記者協会)

現在まで彼の真正性は受け入れられている。多くの遺族が涙を流しながら送った悲しい歳月を、少しでも洗い流して、生き地獄から脱出できるのではないかという希望を抱かせる。「今後も5・18の遺族と引き続き接触を続ける計画ですか?」という記者の質問には、「はい。辛い気持ちが払拭されるまでできるだけ続けて連絡を差し上げたいし、連絡を受けてくださる時、心を開いてくださる時に感謝し、それは祝福であると思い、引き続き対話を進めて行きたいと思います」(2023年3月29日)と答えた。

イエスが十字架を負って強権と暴力が支配するこの世は、神の平和と救いが支配する世に変わった。その平和を得るために、多くの人が自分の十字架を負ってイエスに従った。3月29日の夜、全祐院氏に会いにきた故・全泰壹(労働運動家、キリスト者、1948~1970年)の弟・全泰三氏は「がんばってください! 勇気を失わずに……」と伝えた。光州を訪問した全祐院氏は5・18当時、家族を失った母親たちの前でひざまずいてお辞儀をした。母親たちも涙をぬぐいながら、「勇気を出してくれてありがとう!」と全氏を抱きしめた。

5・18当時、高校生市民軍として犠牲になった故・文ジェハク氏の母親は、全氏の手を握り「今までどれほど恐ろしく、たいへんな苦痛の時間を過ごしたのか考えると胸が痛い」とし、「光州を第二の故郷のように考えてほしい」と頼んだ。加害者の孫と犠牲者の母親は、このように涙をにじませながら和解していた。みじめな歴史をこの時代に再び繰り返さないために、一個人や家族のみの天国行きへの欲を諦め、依然と生き地獄で苦しむ人々に近づく勇気が必要である。

受難節において全祐院氏が、このような懺悔の道を歩み始めたのは偶然とは感じられない。イエス・キリストのように自らを放棄し、「空」にした「ケノーシス」(kenosis)の姿のようだ。今の心が変わらず、真にキリストの道に従って歩むことを切に願う。私たちも彼を応援し、共に救いの扉を開いていくべきではないだろうか。日韓・日中・南北などの複雑な東アジアの関係においても、このような場面の演出は変わらず対岸の火事で終わるのだろうか。

ほん・いぴょ 1976年韓国江原道生まれ。延世大学大学院修了(神学博士)、京都大学大学院修了(文学博士)。基督教大韓監理会(KMC)牧師。2009年宣教師として渡日し、日本基督教団丹後宮津教会主任牧師などを経て、現在、山梨英和大学の宗教主任。専門は日韓キリスト教史。

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