青野太潮 著 どう読むか、聖書の「難解な箇所」(榎本譲)【本のひろば.com】

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評者: 榎本譲

「一般信者」に語りかける聖書学者の一書
〈評者〉榎本 譲


どう読むか、聖書の「難解な箇所」
「聖書の真実」を探究する

青野太潮著

新書判・288頁・定価1320円・ヨベル

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前作『どう読むか、新約聖書』に次いで、ヨベル新書に青野太潮先生のさらなる一書が登場した。書名は、『どう読むか、聖書の「難解な箇所」』。
私にとって「恩師」と紹介する青野太潮先生のご著書に言葉を添えるのは、なんともおこがましいけれど、学生であったときから35年以上経とうとも変わらずに、誰に対しても分け隔てなく、割り引くこともなく、キリスト教信仰の核心にふれる神学テーマを問いかけ続けておられる師への感謝として、拙い一文を寄せたいと思う。
「先生、論争の仕方が下手なんですよ。わたしは、青野先生よりも青野太潮のことをよく知っているつもりです(笑)」。
参加者が教会の「一般信者」(以降、気に入らないがあえてこの表現を用いる)中心であったシンポジウムのあと、いつもよりしょげた顔でやってこられた青野太潮先生にそうお声をかけたことがある。もちろん、ユーモアを込めて。
肝心の「イエスの十字架の逆説」の真意を展開するまえに、「これはルカの考えによる付加部分だ」とか「元来のイエスの言葉とはまったく意味が異なっている」などと発言されるので、新約聖書学の知識のない信者は、そこで「つまずいて」思考停止してしまうのだった。当然、フロアからの質疑はそれら文書批判の賛否に集中し、肝心の青野太潮氏による「十字架の神学」が指し示す事柄に関する議論の深まりは得られぬまま時間切れとなる。毎度のことながら。それで、私としては「議論の仕方」うんぬんの感想を告げたわけだ。(つづく)

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