2019年4月15日のパリ・ノートルダム大聖堂火災は、出火直後から消火作業が難航し、中央の尖塔が崩落する模様は全世界へ生中継され人々に衝撃を与えた。本作は、その監督履歴に『薔薇の名前』や『愛人 ラマン』、『セブン・イヤーズ・イン・チベット』をはじめ名だたる傑作群をもつフランス映画の巨人ジャン=ジャック・アノーが、高解像度規格のIMAX技術による全編撮影で挑んだ意欲作だ。
はじめに見入るのはリアリティ追求の徹底ぶりで、CG全盛のこの時代に本作は大聖堂の鐘楼や身廊の大部分、螺旋階段や屋外通路、北側翼廊通路などの実物大セットを建造し、実際に炎をくぐらせた。またこのために無数のスケッチや縮尺模型、3Dモデルが制作され、左官やガラス、鉄工や家具など各専門の職人らが情熱をもって現場再現に取り組んだ。その全編を高額の費用がかかるIMAX専用機材で撮り切るという、これらの総体が現フランス映画を代表する巨匠でなくてはなし得ない達成となっている。
またもう一つ本作の大きな見どころは、これほどにリアリティが追求されながら同時に後半では、ジャン=ジャック・アノーがかつての作品で露わにした特有の映像世界へと貫入する点にある。たとえばイエス・キリストの頭部を飾ったとされる聖遺物《いばらの冠》の救出場面では、大聖堂深部で幾重もの鍵や防護ガラスで厳重に守られた冠が消防士二人がかりでようやく取り出されたあと、「実は本物が別の場所にあり……」とミステリアスな様相をみせ始める。消火活動により水浸しとなった地階主廊部の昏がりで、単身で探しだした聖体を両手で抱え、寡黙に闇奥へと歩み進む司祭の後ろ背など、かつてウンベルト・エーコ原作ショーン・コネリー主演の傑作『薔薇の名前』が醸した、重厚かつ異様な空気感を想起せずにいられない。
ノートルダム大聖堂の火災時には、広がる火の手を見上げつつアヴェ・マリアなど聖歌を唄いあげる群衆の姿が国際ニュースで報じられたことも記憶に新しい。映画には市民が撮った当時の録画映像群も使用され、火災の原因をめぐる調査活動やその後の復旧活動等の成果も十全と編み込まれている。そうした質実なリサーチの反映や復旧の動きがあってこそ、ハリウッドのディザスター(災害パニック)映画を想わせさえするあざといほどの見世物化は意義をもつ。この災害が何であり、人々がどう立ち向かったかがより効果的に世へ知らしめられる。
【映画評】 ルーシの呼び声(2)『チェルノブイリ1986』『インフル病みのペトロフ家』『ヘイ!ティーチャーズ!』『ドンバス』ほか 2022年5月20日
消防士や救命士らの奮戦が一方の主軸になる災害事故を扱う映画という点では、チェルノブイリ原発事故を扱った米資本(HBO)映画『チェルノブイリ』およびロシア資本映画『チェルノブイリ1986』が想起される。国家規模の事故を映画化するに際して、ハリウッドが機先を制すことを許さなかった点にはこれらと『ノートルダム 炎の大聖堂』との対照性をみても良いだろう。その迫真性において大きく見劣りはするものの、『Fukushima 50』もこの文脈からは相応の達成として評価し得る。
また鐘楼を占拠する危険度不明の業火を前に、消防士が使命感から己の生命をなげうつような行動へ出る場面からは、アメリカ同時多発テロ事件の際に崩落したニューヨークのワールドトレードセンター内部の人々を描く2006年のオリバー・ストーン監督作『ワールド・トレード・センター』も連想される。ではジャン=ジャック・アノーやオリバー・ストーンに匹敵する仕方で、大規模災害/事故と対峙できる現役映画監督が日本にいるかと考えた際、潜在的ではあるにしろ真っ先に思い浮かぶ一人は濱口竜介だ。
濱口竜介の監督近作『ドライブ・マイ・カー』や『寝ても覚めても』における東日本大震災への暗喩が決して取ってつけたものでないことは、その初期に東北へ取材した三部作をもつ彼の製作履歴をみれば一目瞭然である。殊に脚本を担当した黒沢清監督作『スパイの妻<劇場版>』で示された、関東軍の暴走の先に今日の日本社会が引きずる諸問題を予感させる終盤描写の卓越性は、今後の濱口作品においてさらなる飛躍をみせること必至だろう。
さてノートルダム大聖堂の火災から半年後、同じ2019年の10月31日には沖縄県那覇市の首里城が焼失した。同月18日には台風19号により、川崎市市民ミュージアムで九つの収蔵庫すべてが浸水し収蔵品約23万点が損傷するなど、災害による文化財の被災が相次いだ。これらの原因究明を目指す流れや、復旧への活動もむろん周知されてはいるものの、やはり本作の再現力、起きた事実の視覚化への意志の強度には圧倒され、この彼我の差は何に由来するかを考えざるを得ない。文化財に対する態度。各々の、誇りや心の拠り所としての建築と文物への関心の深度。この意味でも、『ノートルダム 炎の大聖堂』から私たちが学べるものは少なくない。
(ライター 藤本徹)
『ノートルダム 炎の大聖堂』
公式サイト:https://notredame-movie.com/
4月7日(金)IMAX他全国劇場にてロードショー
【関連過去記事】
【本稿筆者による言及作品関連ツイート】
『ノートルダム 炎の大聖堂』❤️🔥
鐘楼、身廊、螺旋階段他の実物大セットへ炎をくぐらせる、巨匠だけがなしうる意欲作。
薔薇の名前/愛人ラマンのジャン=ジャック・アノーが全編IMAX撮影で挑んだ本作、国宝級聖遺物群の救出顛末や、燃え盛るゴシック双塔への志願消防士の突入など圧巻の映像に見入る。 https://t.co/H4OL99GLqZ pic.twitter.com/QFeLYzLizm
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薔薇の名前、ウンベルト・エーコの昏い迷宮。#映画に出てくる気になる建造物 pic.twitter.com/hBtZSSG6B2
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『神なるオオカミ』試写。ジャン=ジャック・アノー監督新作。文革により下放された若者二人が、狼を大神として畏れ敬う内蒙古の族長と、害獣として恐れ駆除を企む共産党幹部の狭間で苦闘する。『もののけ姫』展開をリアル狼で。狼かわゆす。1月公開。https://t.co/vl16zOOwFE
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『チェルノブイリ1986』🇷🇺
キエフ/キーウへの転居当日に原子炉爆発を目撃した消防士の決断と愛。事故状況はもとより、死の街と化したプリピャチ住民の日常描写が胸を貫く。
HBO傑作『チェルノブイリ』を、再現性と緊迫度で堂々更新する意欲作。世界史的事件を135分へ落とし込む結晶化の手腕に唸る。 https://t.co/xyxOXXxK8L pic.twitter.com/q3or6lCMUv
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『チェルノブイリ』
地獄の釜の底へと臨む第3話。軍人の威圧に一歩も引かず、裸一貫で原発の地下を掘り進む炭鉱夫たちの気概。KGBに拘束される学者の覚悟。全身の皮膚が溶けだす消防士の夫の強がり、に付き添い悲しい笑顔で返す妻、がお腹に宿す子の行く末。各々が全うした生き道の峻厳さに戦慄する。 pic.twitter.com/1aS85GEVrN— pherim (@pherim) October 23, 2019
『ドライブ・マイ・カー』
村上春樹短編群を、こう編み直すのかと感服の濱口竜介監督新作。
繰り返されるチェーホフの棒読みさえ病みつきになる。西島秀俊から脇役までみな出色、中でも運転手役・三浦透子の孤独は心に棲みつく。
広島の空と、手話含む9言語の心地よい風通し。
この時間体験は至福。 pic.twitter.com/rxZ7CZnKPJ— pherim (@pherim) July 18, 2021
『寝ても覚めても』
今まで記憶のない種の衝撃。情感演出が抜群なだけでなく、単なる主題利用に留まらない“震災後”の本格映画表現をようやく目にできた実感。濱口竜介による柴崎友香原作の採用がもつ秀逸さも十分に合点がいく。『ハッピーアワー』の卓越性が、商業映画の枠組みへしっかりと着地した。 pic.twitter.com/Sqip2lg7q1— pherim (@pherim) September 1, 2018
『スパイの妻』
黒沢清監督新作が、満州の謀略描くスパイ物で濱口竜介脚本、かつ蒼井優&高橋一生のW主演。
しかもこの座組だけでうなぎ登る期待値を、遥かに超えた面白さ。
神戸の近代建築から衣装小道具まで緻密な再現は眼福の連続で、個々の信念を巡る熾烈な対峙は今日性抜群。この興奮、極の上。 pic.twitter.com/ogzEZD4go8
— pherim (@pherim) September 13, 2020