Q.所属教会以外で洗礼を受けたり、葬儀を挙げてもらったりすることは可能ですか。(20代・女性)
洗礼を受けて初めて教会所属になることが普通ですが、ある教会では、聖霊を受けたしるし(感動や異言など)がないかぎりは洗礼を認めないこともあります。また浸礼(全身を水につける洗礼)のみを洗礼と認める教会があり、その教会に滴礼(わずかな水をかけるのみの洗礼)の教会から転入した場合は、新たに浸礼を受けることもあります。それぞれの教会や教派には伝統と習慣がありますから、それを尊重し、よく理解してから決めるほうがよいと思えます。
洗礼にしても葬儀にしても、それは個人だけのものではなく、信仰共同体の儀式です。洗礼は、聖書にあるとおり、罪が洗われ、キリストとともに死に、キリストの復活にあずかる式ですが、同時に信仰をともに歩むキリスト者共同体の一員として生まれることでもあります。
共同体の中で信仰を育ててもらうことです。洗礼を受けた信者は、主イエスが守り導いてくださる羊の群の一匹として生まれ、育ち、死にます。洗礼の恵みは「生まれる」だけでなく、ずっと恵みによって「育ててもらう」ことであり、また本人からは共同体に力強く奉仕していく者に変えられていくものでありますから、洗礼の瞬間だけのものではありません。
それゆえ、洗礼の時は、自分の信仰生活を日々育てていくために、信仰共同体への信頼が必要ですし、また葬儀についてみれば、生涯ともに信仰の道を歩んできた方々とのこの世でのお別れなので、共同体へ別れと感謝のあいさつを含むものであるはずでしょう。
洗礼と葬儀は「伝道」の場でもあります。非キリスト者がその場にたまたま居合わせて、深い印象を受け、教会に通い始めるという例を多く聞きます。洗礼も葬儀もキリストにあっての新しい誕生ですから、その荘厳さと明るさも人々に深い印象を与えるのだと思います。洗礼にも葬儀にも共通していることは「人間として本当に生まれること」であり、それがなされるのはただキリストとともに、であることを教えてくれることです。
やまおか・さんじ 1948年東京生まれ。慶應義塾大学(経済)、東京教育大学(文学)、上智大学(神学·神学研究科)を経てグレゴリアーナ大学(ローマ)で神学博士。アメリカ、中国、イタリア、フランス、広島などでの宣教·司牧経験の後、上智大学神学部教授、学校法人上智学院総務担当理事を歴任。カトリック・イエズス会司祭。