祈り)天の神様、私たち一人一人に新しい目覚めをありがとうございます。
私たちは目には見えなくて、この手でさわれない何かに怯えたり、逆に励まされたりします。
また、人の顔色を伺って自分に嘘をついたり人に嘘をついたりも。
何を大切にするか、その人の置かれた立場や育った環境で価値観が変わったりします。
しかし、神様の価値観は変わることはありません。いつも一人一人の存在,一人一人の命を大切にして下さいます。
変化の中で生きている私にいつも「あなたは大切な存在だよ」と言っていて下さる神様に心を向けられますように。
これから語られますみことば、この語る者を神様あなたがお用いくださり、
今みことばに聴くお一人お一人へと神様あなたがお語り下さい。
この語る者のすべてを神様あなたへお委ね致します。
このお祈りを主イエスキリストのお名前によってみ前にお捧げ致します。
アーメン。
【参照聖書箇所イザヤ書53章1〜12節】
病に苦しむこの人を打ち砕こうと主は望まれ/彼は自らを償いの献げ物とした。
彼は、子孫が末永く続くのを見る。主の望まれることは/彼の手によって成し遂げられる。(10節)
父なる神様の望んだことは、子なる神様である主イエスキリストによって成し遂げられるって、成就するってことなんですね。
昔、知り合いに「親に怒られている間は反省しているような顔をして、正座でも何でもして楽しいこと考えてればいいのよ。」っと言われて驚いたことがあります。そういえば私たちって時々、辛い時や悲しい時,周りにいる人に心配かけたくなくて笑ってみたり、逆に周りの人たちに同情してほしくて大したことでもないのに大げさにしたりすることありませんか。
今お読みしました聖書の箇所に書かれている『彼』も、十字架に掛かろうとしている主イエスキリストも、神様と思いは同じです。どういう思いか。それは「私たち人間,すべての一人一人は大切な存在である。」という思いです。だから誰も疑う必要はありません。誰も否定することもありません。神様の御心と同じだから主イエスキリストは今、命への道を歩まれます。
人間、すべての一人一人の存在が大切だから進まれます。一人も例外はありません。「あなたはかけがえのない大切な存在です。」