あなたがたは、終わりの時に現されるように準備されている救いを受けるために、神の力により、信仰によって守られています。
ペトロの手紙一1章5節(参照箇所同書1:3〜9)
肉なる体をもって、この地上で生きているかぎり、完全に救われているという確信を表明することができる人はいないでしょう。ゆるぎない救いの確信、びくともしない信仰とは、ほど遠いというのが、わたしたちの正直な姿でしょう。現実の信仰生活には、これでよいということがありません。むしろ「これでよいのか」という問いを抱えています。もし、そのような問いを持たないとしたら、逆に信仰の生活を送っていないとさえいってもよいのではないでしょうか。
しかし聖書は言います。「あなたがたは、終わりの時に現されるように準備されている救いを受けるために、神の力により、信仰によって守られています」。これは、今は、これでよいのかと思っているかもしれないが、先々信仰が保証するから大丈夫だというより、確かな救いは、今すでに「信仰によって守られている」ということです。
信仰は、完全な救いを先取りしていると言ってよいのです。考えて見れば、わたしたちの信仰は、先取りの信仰です。教会は、天国の先取りであり、聖餐は再臨のキリストの先取りです。あやふやと思える信仰が、確かな救いをすでに前もって保証しています。