悲しみ、嘆き、泣きなさい。笑いを悲しみに変え、喜びを愁いに変えなさい。
ヤコブの手紙4章9節(参照箇所同書4:9〜10)
意外性を感じる言葉です。むしろ笑いや喜びこそ信仰の世界に生きるものにはふさわしいと思います。しかしながら、信仰があれば、いつもばら色の人生が約束されていると誰が思うでしょうか。悲しみや嘆き、涙で目を潤ませた、信仰者をわたしたちは、自分自身も含めて、身近に持っているのではありませんか。教会では、それらはそっと片隅に置いておいて、幸せそうに喜びに満ちて、生き生きと御言葉を語ることのみが、信仰者の証なのでしょうか。
このヤコブの手紙の著者は、悲しみと嘆きと涙をたたえていることもまた信仰者の姿であると言っているではありませんか。信仰者が悲しみと嘆きと涙を神の前で表明するなら、神は人の真実を受け取ってくださることの証ではありませんか。
このような人たちに神は慰めといやしをお与えにならないはずはありません。慰めといやしを豊かに受けるには、悲しみと嘆きと涙は教会の片隅に置かれてはならないのです。手紙の著者は、「笑いを悲しみに変え、喜びを愁いに変えなさい」とさえ言います。神は、偽りのない真実の世界を喜びとされるからです。通り一遍の笑いと喜びより、真実の悲しみと愁いの方が神に喜ばれる献げ物だからです。