『孫子』に逆らったダビデは勝った。【聖書からよもやま話285】

主の御名をあがめます。

皆様いかがお過ごしでしょうか。MAROです。
本日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。

聖書のランダムに選ばれた章から思い浮かんだよもやま話をしようという【聖書からよもやま話】、今日は  旧約聖書、サムエル記第一の23章です。よろしくどうぞ。

 

サムエル記第一 23章3節

ダビデの部下は彼に言った。「ご覧の通り、私たちは、ここユダにいてさえ恐れているのに、ケイラのペリシテ人の陣地に向かって行けるでしょうか。」
(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)

神様はダビデに「ペリシテ人を追い払え」と命じましたが、ダビデの率いている兵は少なく、対するペリシテ人の兵力は強大でした。しかもダビデは本来なら味方であるはずのサウル王の軍からも狙われていて、その追手から逃げるだけで精一杯な状況でした。

ダビデの部下の言ったことは世の常識的に言えば確かなことでした。「サウル王の追手から逃げるだけで精一杯なのに、強大なペリシテ人に勝てるわけがないでしょう。今はペリシテ人と戦うよりもサウル王から逃げて体勢を整えることの方が先決です」とこういうことです。

現代でも様々な分野で戦略の基本とされている古典である『孫子』でも、「少なければ則ち能く之を逃る。若かざれば則ち能く之を避く。故に、小敵の堅なるは大敵の擒なり。」つまり「敵兵が自軍より多ければ退却しなさい。圧倒的に多いならそもそも戦うことを避けなさい。小さな兵力で無理をして戦えば大勢力の餌食になるだけです」と書いてあります。これに従えば、この時のダビデは決して戦ってはいけない状況でありました。ですからこの部下の言ったことは合理的だったと言えます。
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しかし、あくまで神様はダビデに戦えと命じ、そしてそれに従ったダビデは勝利を得ました。人間の知恵や常識ではとても無理と思えるようなことでも、神様の意思であれば実現します。人間の判断と神様の判断が相反した場合、神様を信じていなければもちろんのこと、たとえ神様を信じていても人間は自分の判断を優先してしまいがちなものです。しかし、そこで「神様が言うのだから、えいやっ!」と神様の判断に従うことが、神様を信じるクリスチャンに求められている勇気なのかと思います。

世の価値観で言えば、聖書に従うよりも孫子に従う方が合理的な判断だと言われるかもしれません。聖書に従う人は「変わり者」とか言われるかもしれません。しかし神様はその気になれば孫子でも決して読み通せなかったようなことを、いとも簡単にできてしまう方なのだということを忘れてはいけないのだと思います。

それではまた明日。

主にありて。
MAROでした。

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横坂剛比古(MARO)

横坂剛比古(MARO)

MARO  1979年東京生まれ。慶応義塾大学文学部哲学科、バークリー音楽大学CWP卒。 キリスト教会をはじめ、お寺や神社のサポートも行う宗教法人専門の行政書士。2020年7月よりクリスチャンプレスのディレクターに。  10万人以上のフォロワーがいるツイッターアカウント「上馬キリスト教会(@kamiumach)」の運営を行う「まじめ担当」。 著書に『聖書を読んだら哲学がわかった 〜キリスト教で解きあかす西洋哲学超入門〜』(日本実業出版)、『人生に悩んだから聖書に相談してみた』(KADOKAWA)、『キリスト教って、何なんだ?』(ダイヤモンド社)、『世界一ゆるい聖書入門』、『世界一ゆるい聖書教室』(「ふざけ担当」LEONとの共著、講談社)などがある。新著<a href="https://amzn.to/376F9aC">『ふっと心がラクになる 眠れぬ夜の聖書のことば』(大和書房)</a>2022年3月15日発売。

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