あなたの耳は、背後から語られる言葉を聞く。「これが行くべき道だ。ここを歩け。右に行け。左に行け」と。
イザヤ書30章21節(参考箇所同書30章18〜26節)
この言葉の背景には、国家的な苦難であったバビロン捕囚の出来事があったと思われます(20節)。今や、その苦難の時も終わろうとしていました。人々が再び故郷に帰るにあたり羊飼いが羊の群れの後ろから声をかけるように、神は人々の行くべき道筋を後ろから示されるとイザヤは言っているのです。
人が右か左かの選択をしなければならないとき、人は何によって選択をするのでしょうか。計画、あるいは熟慮の結果でしょうか、しかし、それすらも行く手を決するに十全でないことを人は知っています。人の歩みには常に思いがけないことが付きまとうからです。
イザヤは言います。「あなたの耳は、背後から語られる言葉を聞く。『これが行くべき道だ。ここを歩け。右に行け。左に行け』と」と。「背後から」との言葉の響きから、羊の群れが後からかけられる羊飼いの声に押されるように歩く白い塊を想像します。そこには右往左往する姿はまく、整然と同じ向きに歩く群れがあるのみです。後ろからの声に押し出されるかのようにして足を運ぶ群れ、その姿に信仰にある者は、自分でも知らずしてそのように歩いているのではないかと思わざるを得ません。