7月24日 雅歌8章7節

 大水も愛を消すことはできない。洪水もそれを押し流すことはできない。
雅歌8章7節(参考箇所同書8章6〜7節)

コリントの信徒への手紙(一)13章は愛の章として有名ですが、「愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない、・・・」とあります。愛を生き方としてパウロは捉えているのです。しかし愛は心地よい生き方だけを約束するものではありません。愛することは、結果として傷つくことも受け入れることを要求する生き方です。

愛はその動機においては愛する側の気持ちから始まる行為ですが、愛した結果は愛された相手の気持ち次第です。愛は愛する側に望ましい結果を与えてくれるとは限りません。ときにはなんの結果も産むことなく終わるかもしれず、裏切られる結果となるかもしれません。

にもかかわらず愛は、その結果を受け入れるのでなければ完成しないのです。結果を恐れて、躊躇(ちゅうちょ)するなら愛することは起らず、愛した結果傷ついて憎しみをもって相手に臨むなら愛はもはや消滅しています。愛が愛として完成するためには、己の手から離れて起る結果がどのようであろうと受け入れるのでなければ愛したとはいえません。その意味において愛は強くなければなりません。だからこそ「大水も愛を消すことはできない。洪水もそれを押し流すことはできない」のです。

賀来 周一

賀来 周一

1931年、福岡県生まれ。鹿児島大学、立教大学大学院、日本ルーテル神学校、米国トリニティー・ルーテル神学校卒業。日本福音ルーテル教会牧師として、京都賀茂川、東京、札幌、武蔵野教会を牧会。その後、ルーテル学院大学教授を経て、現在、キリスト教カウンセリングセンター理事長。

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