Q.いずれ終末が訪れるなら、いま人が生きていることの意味は何ですか?(30代・女性)
聖書は、やがてこの世界に終わりが来ると教えます。
終わりの時には裁きがあり、すべての人間はそれぞれの行為にしたがって神の裁きを受けねばなりません。罪を犯しつつ生きている人間は、この神の裁きに誰一人耐えることはできないでありましょう。人間は自らの行為によれば、神の裁きの前に滅び去るよりない存在です。世の終わりが来るとは、このことを意味します。
しかし、聖書が説く世の終わりは、絶望の時ではありません。神は、キリストを信じるものが誰一人滅びることを欲しない、と言われます。
神は滅び去るべき人間を深く愛されて、その救いのために神の独り子、イエス・キリストを地上に遣わされ、十字架の死によって人間の救いを完成されました。キリストの購いによる罪の許しと身体と魂の救いは、聖書の教える中心的メッセージです。
キリストによって、終末の裁きは同時に赦しの時となりなりました。終末の死の向こうに神によるまったく新しい世界が始まる、と聖書は語ります。キリストは、終末の時に再び地上に来られると約束されました。
そのキリストによって、この世に生きる人々に朽ちざるいのちに生きる希望が与えられました。またそのキリストによって、やがて来たるべき終末が、この世に生きる者のいのちに新しい喜びと光を与える希望に変えられたのです。
ナチスの強制収容所から解放された人々が、すべてのものを失った後に新しいいのちを得たように、私たちも終わりの日に、すべてを失った後に新しいいのちを与えられるでありましょう。
神の約束にすがる時、朽ちざるいのちに生きる喜びは、終わりの日に実現する出来事となるだけではなく、この世の生活においてすでに事実となると聖書は教えます。
「神の国は、ここにある、あそこにあるというのではなく、実に、あなたがたの間にあるのだ」とイエスは言われます。
*本稿は既刊シリーズには未収録のQ&Aです。
しらい・さちこ 青山学院大学文学部を卒業後、フルブライト交換留学生として渡米。アンドヴァー・ニュートン神学校、エール大学神学部卒業。東京いのちの電話主事、国立療養所多磨全生園カウンセラー、東京医科大学付属病院でHIVカウンセリングに従事した後、ルーテル学院大学大学院教授を経て同大名誉教授。臨床心理士、米国UCC教会牧師。