アブラハムはその場所をヤーウェ・イルエ(主は備えてくださる)と名付けた。そこで、人々は今日でも「主の山に備えあり(イエラエ)」と言っている。
創世記22章14節(参考箇所同書22章1〜19節)
アブラハムは、わが子イサクを燔祭(はんさい)の献げ物とするよう神に命じられます。神の命令に従ってわが子を殺すか、神に背いてイサクを助けるか、アブラハムの心は揺れに揺れたにちがいありません。しかし、神に従うことそれが彼の決定でありました。
たどり着いたモリヤの地に献げるべき子羊がないのに気付いたイサクは「子羊はどこにいますか」(7節)と尋ねます。この時アブラハムは申しました。「子羊は神が備えてくださる」(8節)。アブラハムの今は耐え難いほどの苦しみの時です。彼の心中によぎったのは、神はかならず何事かをしてくださる,しかもそこには窮境を救う答えとなることがきっとあるとの信仰でした。事実、目を凝らして周囲を見たとき、献げ物のための一匹の雄羊が木の茂みにいたのです。
意に反するような人生の出来事もまた信仰の目を凝らして、よくよく見るなら、かならずよき備えがある、その確かさをこの物語は教えるものです。「人々は今日でも『主の山に備えあり(イエラエ)』と言っている」との言葉は、文字通り「今日でも」わたしたちのためにあります。