わたしは言っておくが、不正にまみれた富で友達を作りなさい。そうしておけば、金がなくなったとき、あなたがたは永遠の住まいに迎え入れてもらえる。
ルカ16章9節(参考箇所同書16章1〜13節)
まるで悪いことをしてでも、友をつくれと言われているかのような印象を受けます。たとえで使われている「不正」という言葉は、義ではないということで、悪いという意味より、「神の国」、あるいは「天上」と対立する「この世」、あるいは「地上」のさまを意味しています。
不正の管理人の話は、地上でしか生きることができないのなら、そこを徹底して生きる以外にないということです。しかも、地上のものを使って永遠の救いに入ることを考えなさいということでもあります。
イエスがたとえの中で取り上げられた管理人は、たとえ全体を読めば分かるように、地上での生きる中で永遠の救いを目指ざして、地上のことに忠実に、かつ世間の知恵を利口に使ったのです。イエスが「不正にまみれた富で友達を作りなさい」とは、それこそ手垢にまみれた俗世間の中で、知恵を尽くして生き、永遠の救いを求める信仰の友を作りなさいということでしょう。イエスは、その生きざまを指して「小さなことに忠実な者」と言われました。ルターは信仰と希望はこの世に生きている限り必要と申しましたが、信仰をもってこの世を生きるときには、そのようなこの世のものへの忠実さが求められます。