主の御名をあがめます。
皆様いかがお過ごしでしょうか。MAROです。
今日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。
毎回、新旧約聖書全1189章からランダムに選ばれた章を読んで、僕の心に浮かんだ事柄を、ざっくばらんに話してみようという【聖書からよもやま話】、今日は 旧約聖書、 ネヘミヤ記の6章です。それではよろしくどうぞ。
◆エゼキエル書 30章19節
わたしがエジプトにさばきを下すとき、彼らは、わたしが主であることを知る。
(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)
さばきを下す前にあなたが主であると知らせてくださいよ、神様!と言いたくなりますよね。でも人間、痛い思いをしないと何事も思い知らないものです。エジプトの王たちは何度も何度も神様を知る機会はあったのに知ろうとしなかったので、痛い思いをもって主の力を思い知ることになってしまいました。エジプトの王に限らず聖書には、何度も神様からのメッセージや警告を受けたのにも関わらずそれを無視し続けて最終的に痛い目にあってしまう人がたくさん登場します。
「大事なデータはこまめにバックアップを!」って、いろんな人から何度も何度も言われていたのに、「まぁ大丈夫だろう」なんてタカをくくって、ある日突然パソコントラブルで重要データを失った経験が僕にもあります。そんな経験をしてからは、日々ちゃんとバックアップをとるようになりました。痛い思いを避ける機会はいくらでもあったのに、結局痛い思いをするまで行動を改めないのが人間の性質です。
パソコンのバックアップでは痛い思いをしてしまった僕ですが、神様が主であるいうことについては、痛い思いをする前に知ることができてラッキーだったと思っています。神様は「何度も何度も機会は与えてあげるけど、その機会を無視し続けたら最終的には知らないからね。痛い思いをしてから泣いてもダメだからね」という方です。優しくありつつも、厳しい方です。
それではまた明日。
主にありて。
MAROでした。
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