「子よ、お前はいつもわたしと一緒にいる。わたしのものは全部お前のものだ。だが、お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかったのだ。・・・」
ルカ15章31〜32節(参考箇所同書15章11〜32節)
有名な放蕩息子(ほうとうむすこ)のたとえ話の中で語られた兄についての話です。彼は放蕩の限りを尽くして、帰ってきた弟を父親が喜んで迎え、子牛まで屠(ほふ)る騒ぎに不満を募らせます。「わたしは何年も仕え、いいつけに背いたこともない。それなのになんの祝い事もしてもらったことはない。それなのにこの騒ぎは」。父は言います「子よ、お前はいつもわたしと一緒にいる。わたしのものは全部お前のものだ」と。
この弟のようなドラマティックな回心体験の証を聞くことがあります。大変感動的で羨ましいとさえ思うこともあります。ある牧師の言葉に、「救い主は強い、びくともしない信仰の持ち主を必要とされない。彼が必要とされるのは、神に不従順になりはしないかと、恐れおののくが、また気を取り直して」喜んでハイと言い、行動する人が教会をつくる」とあります。この兄のような平凡な信仰者から教会は成り立っているということです。周囲を見て、時にはぶつくさ言うことだってあるでしょう。しかし、主は言われます。「子よ、わたしはいつも一緒にいる。わたしのものは全部あなたのものだ」。
あらためて自分自身の姿を兄の中に見出してもよいのではないでしょうか。