Q.全知全能の神は、罪を犯す自由を与えながら、なぜそれらを戒めるのですか?(20代・女性)
「あなたがたの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい」(ヨハネによる福音書8章7節)とイエスが言われた時、罪を犯した女にだれも石を投げることができなかったように、私たちは罪を犯さずには生きていけない存在です。神が、罪を犯すことのできない人間を造ってくださっていたらよかったのに、という思いを持つ人は多いのではないでしょうか。
しかし、神は人間を天使としてではなく、人間として造られました。神と隣人を愛することもできれば、罪を犯wすこともできる、いわば生身の人間として造られました。生身の人間なので私たちは、精神的には罪を犯す存在であり、肉体的には怪我をすれば血を流し、年と共に次第に衰えてゆく肉体を持ち、その短い一生の間にしばしば重荷を負い、喜びと同時に悲しみと悩みに包まれて生きる存在です。
しかし神は、人間が罪の中にとどまることを望んではおりません。「心を尽くし、魂を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい」「隣人を自分のように愛しなさい」(マタイによる福音書22章37、39節)という戒めに神のみ心が示されています。神に従うことも、神を否定することもできる自由を与えられた人間が、自分の意志によって神の呼びかけに応じることを神は望んでおられるのです。
人間の世界には多くの罪がありますが、多くの罪の根底にある大罪は神に背く罪です。神に背く罪を犯して滅んでいく人間の救いのために、キリストはご自身のいのちを与えてくださいました。キリストの死によって人間は、神が人間をどれほど強く、また、深く愛してくださったかを知りました。
私たちは、自分の罪を通って神の愛に出会い、キリストの福音を信じる者とされます。神の約束されるとおり、やがて、人間が罪を犯すことのない存在に変えられる時が来るでありましょう。それは、天にも地にも神の支配が満たされる時であり、聖書はその状態を天国と表現します。
しらい・さちこ 青山学院大学文学部を卒業後、フルブライト交換留学生として渡米。アンドヴァー・ニュートン神学校、エール大学神学部卒業。東京いのちの電話主事、国立療養所多磨全生園カウンセラー、東京医科大学付属病院でHIVカウンセリングに従事した後、ルーテル学院大学大学院教授を経て同大名誉教授。臨床心理士、米国UCC教会牧師。