「第56回 なくせ!建国記念の日・許すな!靖国国営化2.11東京集会」(主催:2.11東京集会実行委員会)が11日、インターネット会議ツール「Zoom」を使ったオンラインで開催された。全国から100人を超える人たちが参加した。
日本の初代天皇(神武天皇)が即位した日「紀元節」として、この日が祝日に定められたのは1987年。戦後、その復活に対して賛否両論がある中、1966年、「建国記念の日」とする法が成立した。キリスト教界では、戦前から戦中、天皇制によって信仰が弾圧されてきた歴史を踏まえ、同日を「信教の自由を守る日」として、各地で集会を行っている。
「2.11東京集会」は、「建国記念の日」制定と同時に始まり、今年で56回目となる。大量の皇室報道に毎日晒(さら)され、無意識に天皇制国家を受け入れる風潮がある中、もう一度立ち止まって立ち位置を見つめ直し、行動を確認する必要性を訴え、「なぜやめられない天皇制」をテーマに今回の集会を企画した。講演者には、沖縄出身で、日本で初めてゲイであることを公表して牧師となった平良愛香(たいら・あいか)氏が登壇。講演後には、武蔵大学社会学部教員で社会運動研究を専門とする松井隆志(まつい・たかし)氏が、応答と対話の時間をもった。
平良氏は沖縄の視点から、「ウチナンチュとしての二者択一、キリスト者としての二者択一」というテーマで語った。
冒頭で、自身の「愛香」という名前の由来について触れた。平良氏が誕生した1968年は、ベトナム戦争真っ只中で、当時まだアメリカの一部だった沖縄もベトナム戦争に巻き込まれていた。クリスチャンだった両親は、毎朝、神様に平和を求め祈り、その祈りが、旧約聖書のイスラエルの平和を泣き叫ぶ歌「哀歌(あいか)」と見事に重なり、生まれた子どもに「平和を叫び求める」という意味で名付けたという。
続いて語られたのは、イエス・キリストの裁判のとき二者択一を迫られた民衆について。ピラトにバラバとイエスのどちらを殺すかと聞かれたとき、民衆は、その二者択一はおかしいと答えるべきだったのではないかと平良氏は考えている。普天間と辺野古の基地問題にしても、信仰とセクシュアリティといった問題についても、二者択一を突き付けられたとき、「その二者択一そのものがおかしいのではな いか」と気づくことも重要だと力を込めた。
また、ウチナンチュとしての二者択一ということで、踏みにじられてきた琉球の歴史をとおして、天皇制という便利なものが、支配を肯定し、強化し、今も存続させていることを話し、 沖縄の自立は、軍事基地からの独立であると同時に、天皇制からの離別でもあると話した。 一方、天皇を拝む問題だけでなく、存続を許しているという現実にも目を向けた。そこでは、キリスト者として大切にするもの──教義か、教会(組織)か、分裂への覚悟などが問われてくるという。
最後に、天皇制がやめられないことの1つとして、戸籍や家制度がきちんと問われていなことを挙げた。国家は、個人の問題は「家」に委ねてしまい、そこで苦しんでいる家がたくさんあるのに、家がそれをやるのは当然というふうに思い込まされている。そして、そのシステムの頂点に天皇というものがあると話し、次のように締めくくった。
「なぜやめられない天皇制」と問われたときに、改めて感じるのは、二者択一択一を問うと同時に、『家』というものを私たちはいいものだと思い込んでいないか、もしかしたら、そのシステムは天皇制を守るために押し付けられたものかもしれない、ということです。この考えは、まだまだ検討の余地はありますが、一人ひとりが、この問題について考えるきっかけになればと思います。