生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことはない。このことを信じるか。
ヨハネ11章26節(参考聖書箇所同書11章17-27節)
やがて兄弟ラザロが復活する日がやってくると信じて、「終わりの日に復活することは存じています」(二十四節)とマルタは主に向かって申しました。せめて、そうでも信じていなければ、この悲しみは消えそうにない、それが正直なマルタの思いだったでしょう。 それは、わたしたちにとっても同じです。愛する者との死別を経験したとき、わたしたちは言います。「やがて天国で会えるから」。そうです。それにまちがいはありません。でもやはり、やり切れなさは残ります。 主は言われました。「生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことはない」。主は死でなく、命を見るようにと教えてくださいます。死はだれにでも訪れます。避けて通ることはできません。しかし、死は人生の主役を演じないというのが、この言葉に込められているメッセージです。 主役を演じるのは、命である、主はそう言っておいでになります。なぜなら主御自身が「復活であり、命」(二十五節)そのものだからです。信仰によって復活であり命である、お方と結ばれた者は、死の時に主役を死に譲ることはないのです。