わたしは世の光である。ヨハネ8章12節(参考聖書箇所同書8章12〜20節)
この言葉に続けて、「わたしに従う者は暗闇の中を歩まず、命の光を持つ」とあります。筆者はかつて筑豊の小さなで学費稼ぎのため坑夫として働いたことがありました。それこそ小さなヤマでしたから、カンテラを使ってを掘ったものです。をかけると爆風でカンテラの灯が消え、それこそ墨を流したような闇の世界が襲います。しばらくして、だれかがマッチを擦るとまるで真昼のような明るさが戻って来て、ホッとしたものです。闇が暗ければ暗いほど光は明るいとよくいわれます。まことにその通りの思いをしました。 主は「わたしは世の光である」と言われます。この光に照らされている自分の姿をどこまで知っているでしょうか。おそらくは、わたしたちなりの光があってキリストの光をおぼろにしていることだってあり得ることです。しかしながら、わたしたちの側が暗ければ暗いほどキリストの光は明るさを増します。闇が濃いからといって、強く照らされる必要はないのです。わたしたちの闇が濃ければ濃いほどキリストの光は小さくてよいのです。たとえ、ほんの小さなキリストの光であったとしても、闇の濃さが濃いほど、その光に闇は退きます。