わたしの言葉を聞いて、わたしをお遣わしになった方を信じる者は、永遠の命を得、また裁かれることなく、死から命へと移っている。 ヨハネ5章24節(参考聖書箇所同書5章19〜30節)
「わたしの人生はこれでよかったかどうか」、「まだまだ気掛かりのことが残っているのに」などと「わたしの死」は問いを投げ掛けます。もし死がすべての終わりであるなら、これらの問いをそのままにして、人生を終わらねばなりません。そのような死はわたしにとって死にたくない死であり、死にたくない死を前にして生きることは辛いことであります。 しかし主は言われます。「わたしの言葉を聞いて、わたしをお遣わしになった方を信じる者は、永遠の命を得、また裁かれることなく、死から命へと移っている」と。 このことが洗礼において、わたしの中に実現することを知らねばなりません。ルターは「洗礼は水によって罪人であるわたしが溺れ死ぬのであり、そのわたしをキリストが水から引き上げて生き返らせてくださるのである」と言います。死から命へ移っているとは、そのような出来事が、洗礼においてわたしに起っていることを知らせているのです。 「わたしの死」はそのとき「キリストの命」に変えられており、もはや「わたしの死」が残す問いは、その時、キリストに受け取られているのであります。