書籍紹介『読むだけでわかるキリスト教の歴史』(青木保憲著 イーグレープ)
僕はプロレス観戦が好きなのですが、熱心に見始めたのはこの2〜3年くらいのことです。それまでは「プロレスってたしかに面白いんだけど、なんだかストーリーが分かりにくいし、それを知るにもどこから勉強すればいいのか検討もつかないし、まぁいいや」みたいに思って、なんとなくプロレス観戦に本腰が入らなかったんです。
プロレスというのは「ストーリーのスポーツ」です。今、目の前で行われている試合は、単なる試合ではなく常に「その試合に至る理由」があるんです。分かりやすく言えば、ドラゴンボールやワンピースなどのバトル漫画みたいなものです。彼らはただ戦っているだけではなく、理由があって戦っています。読者は、その戦いに至る理由が分からなければ楽しめません。ですからプロレスも、確かに目の前の試合だけでも面白いのですが、そこに至る理由がわかるとさらに面白くなり、そして本腰を入れて楽しめるようになるんです。
で、プロレスというのは、今目の前の試合から、その理由、その理由・・・と、ずーっと辿っていくと、ジャイアント馬場さんの全日本プロレス設立、アントニオ猪木さんの新日本プロレス設立、さらには1953年、力道山さんの日本プロレス設立まですべてしっかりと繋がっているんです。70年に及ぶ歴史ですから、これを紐解くのは大変なことです。マンガなら1巻から読み直せば理解することができますが、僕たちは今から力道山の時代までタイムスリップしてすべての試合を一から見直すことはできません。しかし、アマゾンプライムさんにこれを要領よく、かいつまんで説明してくれる番組があり、それによって僕は「プロレスの歴史の骨組み」を得て、それをきっかけに本格的にプロレス観戦に参戦することができました。
・・・すみません。完全にプロレスの話になってしまいましたが、キリスト教も同じことが言えます。日本のプロレス史は70年ですが、キリスト教の歴史は2000年です。そしてキリスト教も、「今起こっていること」から、その理由、その経緯、その理由・・・と辿っていくと、すべてしっかりとイエス・キリストという方につながっているんです。それはカトリック教会で起こっていることも、プロテスタント教会で起こっていることも関係なく、同じようにすべてです。大きな出来事も、小さな出来事も関係なく、同じようにすべてです。
プロレスの試合が「歴史の流れ」の中で見るとより面白くなるのと同じように、キリスト教のあらゆる出来事も「歴史の流れ」の中で見るとより興味深くなり、そしてまた自分が神様によって置かれたこの時代、この場所の意味も見えてきたりします。クリスチャンになるということは、イエス・キリストから始まって、使徒たちや教父たちを経て、さらに多くの神学者・聖職者・伝道者たちが継承してきた歴史に、自分も一員として連なるということです。プロレスはファンとして観戦するだけですが、キリスト教は当事者として参加するものなのですから、「今起こっていること」の源流を辿ることはクリスチャンにとって大いに意味のあることです。
「クリスチャンになったからには、キリスト教の教派とか歴史について知りたい!」でも、「どこから手をつけていいか分からない・・・」と、後回しにしてしまっている方は少なくないかと思います。「カトリックとプロテスタントってどう違うの?」とか「プロテスタントはどうしてこんなにたくさんの教派があるの?」とか「アメリカの政治で話題になっている『福音派』って何者?」とか、キリスト教の歴史に関する疑問は、クリスチャンに限らずノンクリスチャンの方にも多いはずです。そんな方がまず、キリスト教の歴史を知る骨組みを得るためにおすすめなのがこの『読むだけでわかるキリスト教の歴史(青木保憲 イーグレープ)』です。
本書では、イエス・キリストの弟子たちが初代教会を立ち上げるところから始まって、ローマ帝国による弾圧と国教化、教皇権の隆盛、宗教改革、自由主義神学の台頭、福音派の功罪・・・と、キリスト教2000年の歴史エッセンスがしっかりと押さえられています。・・・と、いうと「難しい本なんじゃないの?」なんて心配になってしまう方もいらっしゃるかと思いますが、心配ご無用、著者の青木先生は見事に、これら複雑な話題を簡略に効率よくテンポよく、時にユーモアを交えつつまとめ上げてくださっています。しかも、それでいて決して軽くはありません。21世紀、令和の時代に生きる僕たちがクリスチャンとして、「歴史の最先端」として何を考え、なすべきなのか、さまざまな課題を教えてくれる本でもあります。青木先生と言えば、「パダワン青木」としてこのクリスチャンプレスでもコラムを連載してくださいましたから、もし先生のユーモア溢れるキリスト教解説を試し読みしたい!という方があれば、過去の記事を探していただければと思います。
特筆すべきは、この手の本はつい「どこか特定の立場からの歴史」になりがちなところ、青木先生は実に公平にさまざまな立場について説明を加えている点です。たとえば現代で大きく対立しがちな自由主義神学と福音派についても、どちらか一方の側に偏ることなく、両者の功罪を述べておられます。ですから現在、どんな立場に立っている方も、ぜひご一読いただければと思います。もしかしたら両者の対立が解消するきっかけになるかもしれません。対立というのは往々にして「相手側を誤解する」ことによって始まったり激化したりします。ですから両者の成立過程や背景・経緯を知れば、いきなり対立解消!とまでは行かないまでも、建設的な対話の下地をつくることができます。
自由主義神学と福音派に限らず、残念ながら現代のキリスト教界にはたくさんの「残された対立」が存在します。その真っ只中にいる方はもちろん、それを外側から見て「なんだかよく分からんから触らないようにしておこう」なんて思ってしまう方にも、この本はおすすめの一冊です。クリスチャンの方には「自分が連なっている、あるいは連なろうとしている『歴史』とはなんなのか」を知る一助になるでしょうし、ノンクリスチャンの方には「世界史で学んだけどよく分からないモヤっとしたこと」の仕組みをしる絶好の機会を与えてくれる本かと思います。
自分が今、リングに立っているこの試合にどんな意味があるのか、ここに至るまでにどんな歴史があったのか、そしてこの試合がどんな未来につながるのか。それをちゃんと認識している選手とそうでない選手では、そこで繰り広げられる試合の熱さが違います。クリスチャンもまた、自分の目の前に起こっている出来事にどんな意味があるのか、経緯があるのか、どんな未来につながるのか。それを知るか否かで信仰のあり方、熱さは大きく変わってくるはずです。それを熟知するためにはきっとたくさんの分厚い本と長い時間が必要でしょうけれど、最初の一歩はこの一冊とたぶん3〜4時間の時間があれば十分です。その一歩から、いずれ歴史を変えるあなたの「熱い試合」が生まれるかもしれません。
ぜひこのリンクからこの良書を手に入れてください。きっと新しい「信仰の世界」「キリスト教の視点」が広がります。