10月20日は上皇后美智子の誕生日

 

今日10月20日は上皇后美智子の誕生日。戦中の天皇制による弾圧を受けてきたキリスト教会にとって皇族を取り上げることは非常にナーバスであり、逆に神道の宮中祭祀を行う皇室ではキリスト教はタブー視されていますが、明らかにされている事実をご紹介します。

婚約発表直前の正田美智子(写真:毎日新聞社)

実家である正田家は代々カトリックでした。父方の祖母であるきぬがまず1927年、27歳の時にカトリックの洗礼を受け、その夫の貞一郎(ていいちろう、日清製粉社長などを務めた)も49年、79歳の時にカトリック関口教会(東京カテドラル聖マリア大聖堂)で受洗しました。葬儀も東京・四谷のカトリック麹町教会(聖イグナチオ教会)で日清製粉会社社葬として執り行われています。父のあとを継いだ三男の英三郎が父親ですが、やはりカトリック信徒といわれています。母親の富美子も、聖路加国際病院で臨終の間際に洗礼を受けています。

1959年の成婚の2カ月前に行われた第31回国会の内閣委員会で菊池義郎(きくち・よしろう)議員が次のような質問をしています。

「もう一つ重大なことは、この婚約を運ばれた方々、運動に当られた方々が全部カトリック教徒である。前の田島(道治・初代宮内庁)長官もカトリック教徒であり、それから宇佐美(毅・第2代同)長官もカトリック教徒であり、小泉信三氏(東宮御教育常時参与として皇太子明仁親王の教育の責任者)もカトリック教徒であり、それからしゅうとになられる正田英三郎氏もカトリック教徒である。それから最高裁判所長官の田中耕太郎氏もカトリック教徒である。カトリック教徒の一連のからくりによってこの婚約が運ばれたという説が流布されておるが、これはいかがであるか、承わりたい」

それに対して宇佐美宮内庁長官がこう答えました。

「関係なさった方々がどういう宗教であるかということは、私調べたことはございませんので、責任を持ってお答えいたしかねますが、私がカトリック教徒であるなどということはとんでもない間違いであります。ただ出身せられた聖心学院というのはカトリック系の学校でありますが、御本人は洗礼を受けておられない。あるいはカトリックが将来皇室に対して何らか影響を持たないかという心配をせられた方々が世上あるということは聞いたことがございます。しかし、もちろん美智子さんは洗礼を受けておられませんし、学校当局においても非常に慎重な態度をとっておられまして、この問題に対しては何ら御心配はないと考えるのでございます。従って、過去においてこの問題についてカトリック系の陰謀があったなどということは全然根拠がございません」

その答弁にもあったとおり、雙葉学園雙葉小学校附属幼稚園、同小学校、聖心女子学院中等科、聖心女子学院高等科、聖心女子大学文学部外国語外国文学科と、ずっとカトリックの学校で学びました。学生時代に学校で出会ったアイルランド人シスターたちに深い思いを寄せており、一人ひとりの顔と名前を今も鮮明に思い出せるといいます。そうして、大学卒業の2年後に皇太子明仁親王と成婚しました。

1993年、59歳になった誕生日に倒れましたが、それはマスコミによるバッシングによるものでした。神道よりもキリスト教に親和性が高く、国民の望む皇室の主としてふさわしくないという内容です。このため、精神的な苦痛から失声症となりましたが、翌年、回復しました。このように日本を代表する人の信教の自由さえ認められていないことを、教皇フランシスコが訪日するこの秋、ぜひとも考えたいものです。欧米に侵略されることを恐れて、キリシタンを根絶やしにしようとした江戸時代ではないのですから。

雑賀 信行

雑賀 信行

カトリック八王子教会(東京都八王子市)会員。日本同盟基督教団・西大寺キリスト教会(岡山市)で受洗。1965年、兵庫県生まれ。関西学院大学社会学部卒業。90年代、いのちのことば社で「いのちのことば」「百万人の福音」の編集責任者を務め、新教出版社を経て、雜賀編集工房として独立。

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