今日4月5日はパーム・サンデー(枝の主日、しゅろの主日)。
イエスが十字架につくため、エルサレムに子ろばに乗って入城されたとき、群衆がなつめやしの枝を持ってイエスを歓迎した次の聖書箇所にちなんでいます。
祭りに来ていた大勢の群衆は、イエスがエルサレムに来られると聞き、なつめやしの枝を持って迎えに出た。そして、叫び続けた。「ホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように、イスラエルの王に」。イエスはろばの子を見つけて、お乗りになった。(ヨハネ12:12~14)
カトリックのミサなどでは、最初、会堂の外でソテツなどの枝を持って集まり、司祭が聖水を振りかけて祝福してから入堂し、イエスがエルサレムに入城した出来事を記念します。
この日はイースター(復活祭)のちょうど1週間前で、この日からキリストの受難を記念する「聖週間」(受難週)に入ります。2月17日の「灰の水曜日」から始まったレント(四旬節、受難節)ですが、4月12日のイースター(復活の主日)を前に、レント最後の週をこれから過ごすことになります。
マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの4福音書にある記述に従って、イエスがエルサレムに入城してから十字架につけられるまでを心に刻む時です。
日曜日 エルサレムに迎えられる(マルコ11:1~11)
月曜日 いちじくの木を呪(のろ)う、神殿から商人を追い出す(11:12~26)
火曜日 権威についての問答等(11:27~13:37)
水曜日 ベタニアで香油を注がれる等(14:1~11)
木曜日 主の晩餐、弟子の足を洗う等(14:12~26、ヨハネ13:1~20)
金曜日 十字架の死等(マルコ14:27~15:47)
土曜日
日曜日 復活する等(16章)
新共同訳や聖書協会共同訳では「なつめやし」(ヨハネ12:13)となりましたが、以前は口語訳や文語訳で「しゅろ」と訳されていました。それは、しゅろが日本に生育するヤシ科の植物だからです。しかし、しゅろは葉が扇状に広がるので、形状的にはソテツのほうが似ています。
聖書で「なつめやし」は勝利や祝福、喜びや希望のシンボルとして登場します。出エジプトで葦(あし)の海を渡り終えてエリムというオアシスに着くと、そこに70本のなつめやしがあったのは象徴的です(出エジプト15:27)。
この日曜日に祝福された枝は、それぞれ家に持ち帰り、1年間、それを見ながら過ごします。そして、翌年のレント前にまた、灰の水曜日のためにそれを教会に持ち寄り、焼いて灰にします。
この後、わたしが見ていると、見よ、あらゆる国民、種族、民族、言葉の違う民の中から集まった、だれにも数えきれないほどの大群衆が、白い衣を身に着け、手になつめやしの枝を持ち、玉座の前と小羊の前に立って、大声でこう叫んだ。「救いは、玉座に座っておられるわたしたちの神と、小羊とのものである」(ヨハネの黙示録7:9-10)
また4月5日は吉田拓郎の誕生日でもあります。
2019年3月、自身のラジオ番組で、のどにがんが見つかり、闘病生活を送っていたことを明かしました。
1972年1月に「結婚しようよ」をリリースしましたが、歌詞そのままにその年の6月、長野県軽井沢にあるカトリック軽井沢教会(聖パウロ教会)で「六文銭」の四角佳子と結婚式を挙げました(75年に離婚)。
堀辰雄「木の十字架」にはこのように書かれています。
その教会というのは、──信州軽井沢にある、聖パウロ・カトリック教会。いまから5年前(1935年)に、チェッコスロヴァキアの建築家アントニン・レイモンド氏が設計して建立(こんりゅう)したもの。簡素な木造の、何処(どこ)か瑞西(スイス)の寒村にでもありそうな、朴訥(ぼくとつ)な美しさに富んだ、何ともいえず好い感じのする建物である。カトリック建築の様式というものを私はよく知らないけれども、その特色らしく、屋根などの線という線がそれぞれに鋭い角をなして天を目ざしている。それらが一つになっていかにもすっきりとした印象を建物全体に与えているのでもあろうか。──町の裏側の、水車のある道に沿うて、その聖パウロ教会は立っている。小さな落葉松林(からまつばやし)を背負いながら、夕日なんぞに赫(かがや)いている木の十字架が、町の方からその水車の道へはいりかけると、すぐ、五六軒の、ごみごみした、薄汚ない民家の間から見えてくるのも、いかにも村の教会らしく、その感じもいいのである。