「えきゅぷろ!」も5年目を迎え、一致を目指すというよりは、キリストを信じる中での互いのちがいを認め合う流れに、今まで以上になってきていると感じます。
ほとんどのキリスト教会で礼拝の中で用いる「主の祈り」。第3回「えきゅぷろ!」では、「祈り」がテーマということもあり「主の祈り」の扱いについて、足かけ1カ月近くに及ぶ激しい議論が交わされました。こういった超教派の集いではカトリックと聖公会の合同訳を用いることがほとんどで、「えきゅぷろ!」でも第1回、第2回と、特に時間を割いて議論することなく用いていました。
しかし、「えきゅぷろ!」にはカトリックや聖公会以外の教派からも参加者がたくさんいます。たまには日本キリスト教協議会(NCC)の口語訳を使ってみる? でも、この翻訳は不自然なところもあるような? それなら文語でもいいのでは? 若者メインの企画なのに文語使うの? ……結果として第3回「えきゅぷろ!」で、開会礼拝と閉会礼拝の2回で用いられる「主の祈り」はそれぞれ別の方法が採用されました。
閉会礼拝では、マタイ福音書6章9~13節を全員で唱えました。「主の祈り」はここからとられた、いわば元ネタの部分ですが、実際にここを用いて「主の祈り」とした礼拝は珍しいのではないでしょうか。
そしてもう一つ、開会礼拝で採用したのは、「みんな、別々でいいじゃん!」。普段用いている訳が違っていても、内容は同じ「主の祈り」。ならば、無理に一つにならずとも、参加者一人ひとりが、普段から慣れ親しんでいる文章で「主の祈り」を唱えられるようにしたのです。式文にはカトリック聖公会合同訳、NCC口語訳、文語訳、そして英語訳も載せました。それ以後の「えきゅぷろ!」企画でも、自分の慣れ親しんでいる訳をそれぞれ用いて「主の祈り」を祈るのが定番になりつつあります。
今後もいろいろな苦労があるかもしれませんが、キリストを信じる仲間たちの場である「えきゅぷろ!」です。互いの違いを認識した上での画期的な取り組みが、今後もまた生まれるかもしれません。(スタッフ・MDM)
【Road to えきゅぷろ2022】 シリーズ「あの頃、私はエキュかった!」②論争相手ではなく友人として 2021年7月11日