7月3日「聖霊によらなければ」

聖霊によらなければ、だれも「イエスは主である」とは言えないのです。(コリントの信徒への手紙I 12章3節)

聖霊は主イエス・キリストと切り離しては理解されない。「主は霊である」(Ⅱコリント3・17)。2000年前の歴史の中で人の子として生きられた主イエスは、今、聖霊として時間と空間を超えて臨在し、働かれる。

今日の聖句は、私たちが「イエスは主である」と告白する信仰も、聖霊による賜物であると語る。聖霊は主イエスの言葉と業について証言する聖書を通して語りかけ、神を信じて生きる人間を創造する。私たちが主イエスを信じ、神に愛されていることを知るのは、聖霊の働きによる。私たちが幼子のように神を「アッバ、父よ」と呼ぶ者となるのは、聖霊の働きによる。

聖霊は私たちを神と和解させ、神との交わりに入れ、私たちに霊の賜物を与えて神の御心(みこころ)を行わせる。聖霊は私たちをキリストの体である教会に召し、主イエス・キリストに仕える神の奉仕者とする。神を信じる者を起こされるのも、神の奉仕者を起こされるのも、教会において働く聖霊である。聖霊は今、生きて働かれるキリストの霊であり、神の霊であるゆえに、私たち人間が聖霊を自由に操作することはできない。聖霊の働きは、神の自由に属する。

しかし、主イエスは「天の父は求める者に聖霊を与えてくださる」(ルカ11・13)と言い、「求めよ、そうすれば与えられる」と言う。主イエスは神が聖霊を与えてくださる方であると約束し、私たちの祈りを喚起される。私たちは主の約束を信じ、聖霊の働きが豊かに現されることを願って、謙虚に、かつ熱心に、聖霊を祈り求めよう。

内藤淳一郎

内藤淳一郎

西南学院大学神学部卒業後、日本バプテスト連盟の教会で牧会、鹿児島大学哲学科のカトリックの神学の学びから、鹿児島ラ・サール高校でも教える。日本バプテスト連盟宣教室主事、日本バプテスト連盟常務理事を8年間務める。

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