「牧師さん、タイヘン! タイヘン!」
「どうしたの? そんなに慌てて」
「家のネコが今朝死にました」
「イヌを飼っていたのは知ってたけど、ネコもいたの?」
「いえ、ネコという名のイヌです」
「ややこしいなぁ。そのイヌのネコが死んだわけ?」
「そうなんです。それで、イヌのネコの葬式をお願いしたいのです。葬式をしないと、天国に行けないでしょ?」
「それはどうかな。でも、葬式はしてあげるよ」
「あぁ、ホッとした。でも、本当にイヌも天国へ行けるのですか?」
「どうして?」
「だって、犬どもは『都の外に置かれる』(ヨハネの黙示録22:15)と書いてありますから」
「うーん……。でも、イヌとは書いてないから、大丈夫じゃない」
「保証してくれますか」
「いやぁ、保証と言われてもね」
「動物が天国には行くのはやはり無理なのかなぁ。動物のいない天国なんか、行っても楽しくないですよ」
「そう悲観することはないよ。詩編には『主よ、あなたは人も獣も救ってくださいます』(36:7)とあるしね」
「動物も救われるということ? でも、動物は信仰を持ってないでしょ」
「そうとも言えないね。イエス様は『小犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです』と答えた女性に向かって『あなたの信仰は立派だ』と言われた(マタイによる福音書15:27~28)けど、小犬のことも褒められていたのではないかな」
「小犬にも信仰があるということですか?」
「たぶんね。神の食卓から落ちてくるものによって養われているという信頼かな」
「それは信仰というより本能でしょ?」
「そうかもしれないが、『種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる』(マタイによる福音書6:26)鳥もそれを信じて生きていると思うんだ」
「そうか、イヌのネコも神さまに生かされてきたんだ」
「そうだよ。それに家族のみんなに可愛がられていたんだろう。それこそ幸せなことではないかね。天国にすでにいたんだよ」
「とすると、葬式はしなくてもいいか。お金もかかることだし」
「……」
かんばやし・じゅんいちろう 1940年、大阪生まれ。同志社大学神学部卒業。日本基督教団早稲田教会、浪花教会、吾妻教会、松山教会、江古田教会の牧師を歴任。著書に『なろうとして、なれない時』(現代社会思想社)、『引き算で生きてみませんか』(YMCA出版)、『人生いつも迷い道』(コイノニア社)、『なみだ流したその後で』(キリスト新聞社)、共著に『心に残るE話』(日本キリスト教団出版局)、『教会では聞けない「21世紀」信仰問答』(キリスト新聞社)など。