死者に命を与え、存在していないものを呼び出して存在させる神を、アブラハムは信じた。(ローマの信徒への手紙4章17節)
神はアブラハムに、彼から多くの子孫が生まれ出ること、その民を世界の祝福の源とすることを約束した。彼は年老いていたにもかかわらず、神の約束を信じた。彼は無から有を創造する神を信じたのである。パウロはこのアブラハムを「信仰を持つすべての者の父」であると言う。
私たちの人生には、経済的に立ち行かなくなる時、病気で臥(ふ)さねばならなくなる時、孤立無援の時、自分が無の中に消えてゆくような経験をする時がある。そのような時、「無から有を呼び出す」神を信じる者は幸いである。「主の山に、備えあり」(創世記22・14)と信じて、前向きに生きるからである。
私たちの信仰生活には必ず、「あの時は不思議だった。神様が助けてくださった」という体験がある。そのことをもっと感謝するなら、私たちの信仰は強められるであろう。「わたしたちの主イエスを死者の中から復活させた方を信じれば、わたしたちも義と認められます」(24節)とパウロは言う。「義と認められる」とは、神が私の人生にかかわってくださることを知る者の告白である。どんなに年老いても、どんなに苦しい思いをしても、神を信じている自分は幸せだと言えることである。病気や経済や精神面で行き詰まっても、そこで私を愛してくださる神を経験する。「神は我らと共にいます」という幸いを経験する。これは永遠の命の先取りである。「わたしは、今は一部しか知らなくとも、そのときには、はっきり知られているように、はっきり知ることになる」(Iコリント13・12)。神に義とされた信仰者は、この世において、永遠の命を先取りして味わうのである。