イエスは立ち止まり二人を呼んで、「何をしてほしいのか」と言われた。(マタイによる福音書20章32節)
主イエスがエリコの町を出た時、道端に座っていた二人の盲人が「主よ、ダビデの子よ、わたしたちを憐(あわ)れんでください」(31節)と叫んだ。人々は盲人を叱りつけ黙らせようとした。人々の制止にもかかわらず、二人はますます激しく叫んだ。自分の願いを主に訴え続けて止まない盲人の姿がある。
主イエスは立ち止まって、二人を呼び、「何をしてほしいのか」と言った。その言葉に促されて、盲人が「主よ、目を開けていただきたいのです」と言うと、主は彼らを深く憐れみ、その目に触れた。すると、彼らはすぐ見えるようになった。聖書の原語には、肉体の目の開眼を願った盲人たちが心の目をも聞かれたことを示し、主の癒(いや)しが全人的な救いであることを語っている。癒された二人は喜んで主イエスに従った。
私たちも苦しみを抱えて神に近づき、祈り求める。しかし、祈り求めたことがすぐに聞き届けられたわけではない。祈りを止めさせるさまざまな誘惑がある。しかし、神は私たちの祈りを聞いておられるのである。そして、私たちに一番よいと思われる時と方法を選んで祈りに応えてくださる。何よりも、神は私たちの心の目を開いて、愛の神である主イエスを見させてくださる。「何をしてほしいのか」と尋ねてくださる主に向かって、願い求めているものを打ち明けよう「何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう」(フィリピ4・6〜7)。