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◆1520年12月10日 ルターが警告文書を焼いた日
プロテスタント教会の生みの親、マルティン・ルターは1517年に、当時のカトリック教会へ有名な「95カ条の論題」を送りました。これに対してローマ教皇レオ10世は「自説を撤回しないと教会から破門するよ」と、警告文書を送りました。が、ルターはその警告文書を焼き捨ててしまいました。ここでカトリック教会とルターの対立は決定的なものとなりました。
現在のカトリックとプロテスタントの関係はずいぶん変わりまして、少なくとも大筋では協力体制というか対話姿勢ができていますけれど、この当時は手紙を焼き捨てるまでの冷め切った、というかむしろ炎上メラメラの状態だったんですね。
洋の東西を問わず、古来から「手紙を破棄する」とか「使者を殺す・送り返す」というのは、相手に対する最大の侮辱、というか、「どんなに激しく敵対していてもやってはいけない最低限のルールを破る行為」とみなされました。手紙や使者を無視すれば、もはや和解も降伏もできなくなるからです。
今だって、誰かに着信拒否をしたら、その人とは二度と和解も交渉もしないという意思表示ですものね。連絡を断つというのはそういうことなんです。
激しすぎます、ルターさん。ドラマチックです、ルターさん。
それではまた明日。