前回、イスラエルではコロナ禍においてもスト権だけは死守されており、ユダヤ教宗教派による集会は、ユダヤ教世俗派による反政府デモに匹敵するのではないかと書いた。ところが最近、そのスト権に一定の制限がかけられるようになった。
ことの次第はこうである。イスラエルは迅速なロックダウンで第1波の封じ込めに成功したが、十分な補償金が政府から出なかったこともあり、各方面からの圧力で経済を回すため拙速に制限を解除した。また宗教学校であるイェシバは8月末に、教育省からの圧力で一般の学校も9月1日に感染対策が不十分なまま再開。そして急速に第2波が到来した。
状況悪化を受け、新たに政府のコロナ対策責任者に就任したロニ・ガムズ氏(テルアビブ・ソウラスキー医療センター長)によって、地域の危険度ごとに対策を変える信号方式が提案された。しかし危険度が高い赤に分類されたユダヤ教超正統派とアラブ人居住地が猛反発し、実施は見送られた。ユダヤ教超正統派地域の感染は主として宗教的施設で、アラブ人居住地では結婚式(雨が降らない夏に大規模に行われる)で起きていた。またUAE、バハレーンとイスラエルの関係正常化調印のためのネタニヤフ首相訪米計画もあり、特に厳しい対策が取られないまま時間が過ぎた。感染状況はさらに悪化、各病院の責任者たちからこのままでは医療崩壊するとのSOSが出た。帰国したネタニヤフ首相は秋の新年、大贖罪(しょくざい)日、仮庵(かりいお)祭のあいだ全土ロックダウンを提唱。そのロックダウンにあたって宗教的集会とデモの制限が最大の政治的イシューになったのである。
この時人々は、デモ権が突出して優遇されていることを利用してさまざまな行動を取っていた。例えばスポーツ以外の目的でビーチに来ることを禁止されると、プラカードを持ってビーチに集まり、これはデモだと言う世俗派の人々がいた。また屋内のみならず戸外でも集会の人数が制限された超正統派の人々は、宗教的集会ではなく大規模デモを行うことを呼び掛けた。とにかくデモだと言いさえすれば行動が制限されないという前提のもと、さまざまな方策が編み出された。
ここに至って、ついに医療専門家たちも戸外のデモにおける感染可能性に言及し始めた。参加者が特定しやすい宗教的集会や結婚式と異なり、不特定多数が集まるデモは、携帯電話を家に置いてきている参加者が多いこともあって感染経路が不明で、デモでの感染は証明できないとされていたのだが、もはやそのようなことは言っていられなくなってきたのだ。
紆余曲折を経て、秋の祭日ロックダウン中の行動制限、つまり特別な理由がないかぎり自宅から1km以上離れることを禁止するという規制において、その理由からデモが外されることが国会で承認された。結果、予想されたことだが、今はイスラエル各地において何百とないデモが行われている。つまり多くの人が家から近いところに集まって、人数制限に注意しながらデモをするようになったのである。
デモ権死守にかけるこの世俗派の人々の情熱を見ると、もはや世俗派が単に宗教的に「ゆるい」人々だとは思えない。オーストラリアのラビが新聞記事でも指摘していたが、デモ、プロテストの伝統はヘブライ語聖書に遡る。聖書においては、服従と同様不服従もまた時には肯定されている。ヨブは神への従順を説く友人たちとは異なり、納得がいかない自らの立場を堅持して反論し、神に問いかけ続けた。自分が本当にそう思ったら、たとえ世界中が、神が反対しても自分の言い分に立ち続けろと子どもの時から教えられるユダヤ人の伝統は、このコロナ禍における宗教的集会権とデモ権の堅持においても脈々と生きているのであった。
山森みか(テルアビブ大学東アジア学科講師)
やまもり・みか 大阪府生まれ。国際基督教大学大学院比較文化研究科博士後期課程修了。博士(学術)。著書に『「乳と蜜の流れる地」から――非日常の国イスラエルの日常生活』など。授業がオンラインに切り替わり、画面に流れる学生からのコメント読み取り能力向上が課題。