主の御名をあがめます。
MAROです。お盆休み中という方も多いのでしょうか。僕は今年は帰省をとりやめて、特に他にすることもないのでカレンダー通りに仕事をしています。色々と落ち着いたら、休みをとって帰ろうかと思っています。なかなか安心して休めない日々が続きますが、そんな中でもまたお会いできたこと嬉しく思います。今週もしばしお相手させていただきます。よろしくお願いします。
近頃、世の中の「分断」がよく指摘されています。何かについて意見の違うグループ同士がお互いに非難しあったり、交流を絶ってしまったりして、世間をギクシャクさせてしまうという問題です。昔から、人との争いを避けるなら「政治と宗教と野球の話はするな」と言われています。この三つは不用意に話すと「世の中の分断」を招いてしまう三大巨頭な話題だということですね。今年はこれに「コロナ」も入って四大巨頭になっているように思います。
しかし、だからと言ってこれらの話題を(まぁ、野球はともかく)「一切話さない」というわけにはいきません。どれも大切なことだからです。大切なことだからこそ、つい議論が白熱してしまって「分断」が起こってしまうんです。大切な話題であればあるほど「分断」の危険も高いんです。
これらのことを話す人を自分も含めて観察してみると、つい陥りがちなワナがあることに気づきます。それはそういう話題について話すとき、ついつい「何かを分かっている自分と、分かっていないあなた」という構造で話してしまいがちだということです。つまり「自分は賢くて正しい。他の考えは間違っているから修正されるべきだ」という態度になりがちだということです。
聖書にはこう書いてあります。
自分を知恵のある者と考えるな。主を恐れ、悪から遠ざかれ。(箴言3章7節)
「自分は賢くて正しい」と思うこと自体が、まちがっていると神様は言っているんです。その前提から始まる議論は、それがどんなものであれまちがってしまうので、それで悪魔の影響を受けやすくなって悪魔の目的である「分断」を起こしてしまうというわけです。(悪魔は別名「分断させる者」と呼ばれるんです)
そして、前提がまちがっているんですから、そこから得られる結論もまちがっていたり、そもそも結論まで至らなかったりもします。その議論はどこまで進んでもいつまでも浅い、遠浅の海のようなもので、船はそこから出られずに、いつか座礁してしまいます。
「自分は愚かでまちがっている」と常に思え、ということではありません。それはそれで困ったことになります。そんな風に思ってしまったら自分の意見を持つことさえできなくなります。必要なのは「自分は愚かでまちがっている『かもしれない』」という気持ちをいつも持っていることかと思います。
そしてもう一つ大切なのは、相手の考えや行動を変えようとしないということです。人の行動を変えられるのは、その人自身か神様だけです。上の箴言で「悪から遠ざかれ」と書いてありますが、「悪から遠ざからせろ」とは書いてありません。自分にできるのは、自分が悪から遠ざかることだけであって、人を悪から遠ざけることではないんです。そこから先は、神様の領域ということになります。
阪神ファンの人が巨人ファンの人に「君も阪神ファンになれ!」と言ってもあまり意味はありません。できることは自分が阪神ファンでありつづけることだけで、誰かを阪神ファンにすることはできません。ましてそこで「阪神ファンが正義だ!巨人ファンはダメだ!」なんて言ってしまったら、そりゃケンカにもなります。「阪神勝て!」だけならケンカにはなりにくいですが、「巨人負けろ!」と言ってしまったらケンカになります。
だから僕も、日本にもっとクリスチャンが増えたらいいなとは思っていますが、「あなたも信じましょう」とはあまり言いたくないんです。僕ができることは自分がクリスチャンでありつづけて、こうして自分の思うことをつらつらと書き続けることだけです。誰かが神様を信じるかどうかは、神様とその人の関係の問題であって、他の誰かが「信じろ!」と言って決まることではないんです。
自分がまちがっている「かもしれない」と心がけること、相手を変えようとしないこと。この二つのルールの上で話すなら「政治・宗教・野球」そしてコロナの話をしても世の中の「分断」は起こらない、少なくとも起こりにくいのではないかと思います。
そして何より大切なのは意見の異なる相手のために祈ることです。
自分の敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。(マタイの福音書5章44節)
今回の話の中で「敵」というのは言い過ぎかとも思いますが、人って意見の同じ人を愛し、意見の異なる人を憎みやすいものです。ですから憎んでしまう前に、祈ってしまいましょう。そうしたら憎まないですみます。そうしたら「分断」も起こらないですみます。
愛するレッドソックスが今年は負けてばかりで悲しいです。でも今日は宿敵ヤンキースのためにも祈ることにします。
それではまたいずれ。MARO でした。
主にありて。