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──日本基督教団の総会議長になられるまでに、いろいろな戦いがあったと思います。
20年ほど前に教団の関東教区で宣教委員長に選ばれました。「時が来た」と思いました。「伝道に熱くなる教会」を掲げて総合協議会を開きました。「伝道」が否定され、「伝道」が死語になっている時代に、「伝道」を主題とした協議会を開催したのです。全国で初めてです。
ところが、講師として招いた牧師が思いもよらず、とんでもない差別発言をしてしまったのです。それで反対勢力から激しく批判され、私が委員長として行う集会が粉砕されました。謝罪文書を出したのですが、「謝罪になっていない」と、すべて回収されてしまいました。
教区総会で、差別問題について協議会を開催することになりました。ほかの宣教委員たちには「いっさい発言しないように。私一人で受けて立つ」と言いました、何か発言すると、その発言に対して暴力的反論が集中するからです。ですが、「私一人で受けて立つ」と言えば格好いいのですが、要するにサンドバック状態です。「伝道に熱くなる教会」が粉砕されていきました。
──再び立ち直れたのはどうしてですか。
その総会で信徒の一人が、「教会は伝道するものではないですか。そういう暴力的な発言はやめてください」と発言し、それに続いて信徒たちが次々に発言しだしたのです。その協議会では総会議員選挙もあったのですが、私に2番目に票が集まりました。サンドバックになりながらも支持してくれる人たちがいたんですね。
それから関東教区は伝道する教会に変わっていきます。そして、2010年の総会で私が教団の総会議長に選ばれるのですが、そのとき壇上で「伝道に熱くなる教団」と言えたのです。これは神様の導きだと思いましたね。「これを教団総会で言えるようになった。ここまで教団は変わった」と。
──伝道について具体的なイメージはありますか。
御言葉に生きること。御言葉に生きたら、慰められ、励まされ、喜びに満たされる。だから、他者に伝えたくなる。証ししたくなる。伝道したくなるということです。
──教団での伝道の方法をもう少し具体的に教えてください。
日本基督教団の強みは、1700の所属教会が全国にあることですが、中には人数的に厳しい教会もあります。しかし地方のある教会で、信徒数5人くらいで礼拝している姿を見た時のことです。そこは小さな農村地域で、礼拝堂はなく、各家庭で順番に礼拝を持っています。そこへ説教をしに行ったのですが、とても生き生きとし、礼拝する喜びにあふれていて、本当に感動しました。この教会の姿こそ、日本の教会の希望だと思いました。
危機的な状況の中でも教会がそこに存在することは、天の門がそこに開かれているということです。それで、日本基督教団はそこを拠点教会にし、その小さな教会の恵みにあずかりながら伝道の働きを進めるということを、いま一生懸命やっているところです。
──小さな教会が立ち行かなくなっているという現状も聞きます。
私たちの教団でも残念ながら、教会が合併したり、一人の牧師がいくつもの教会をかけ持ちしたりしている事態が起きています。しかし、教会がなくなることはものすごくつらいことです。だからこそ、教会を存続させるための方策を教団で考える必要があります。
──また日本基督教団は、それぞれの教会の独立性が強く、まとまりに欠ける面もあるのでしょうか。
ピンチはチャンスでもあるので、今こそ、それぞれの教会の連携が求められています。コロナ対策で礼拝ができないところもあることから、それぞれの教会が支援体制を作ることにより、全体的な一致への筋道ができつつあります。教団全体はバラバラではなく、合同教会として祈りを深め、つながりを強めていくというような関わりが生まれていると感じます。
──ほかの教団や教派との協力関係を考えていますか。
私たちの教団の教師制度をどうするかという課題があり、他教派の教師制度を学んでいます。また東京基督教大学(TCU)から、「うちの神学部を教団の認可神学校にしてほしい」という要請もあって、今後も連携していければと思っています。私たちの教団は献身者の数がすごく多いので、神学教育の面でも協力していきたいですね。
日本基督教団には出版局があります。神学書を出すと赤字で運営がたいへんですが、他教派と連携しながら神学書を出し、神学教育や伝道者養成に仕えるわざができればと願っています。
日本基督教団は合同教会で、その信仰告白は世界の福音主義教会の大部分で受け入れられるものです。この信仰の一致により、他教派と共に日本伝道を世界伝道へとビジョンを広げていければと願っています。(3に続く)