5月11日は前田多門の誕生日

 

今日5月11日は前田多門(まえだ・たもん)の誕生日。敗戦直後に文部大臣となり、教育改革を進めました。

長男は、パスカル『パンセ』の訳者として知られるフランス文学者の前田陽一(まえだ・よういち)。長女は、ハンセン病患者のために生涯をささげた精神科医の神谷美恵子(かみや・みえこ)です。

前田多門(写真:「アサヒグラフ」 1954年3月10日号、朝日新聞社)

立教中学時代、日本聖公会の日本人最初の監督主教で、立教大学の初代学長である元田作之進(もとだ・さくのしん)の薫陶(くんとう)を受け、卒業前に立教総長のヘンリー・セントジョージ・タッカーから洗礼を受けました。

第一高等学校時には新渡戸稲造(にとべ・いなぞう)に出会い、終生、師として家族ぐるみの交わりを続けました。晩年には、新渡戸と同じクエーカーに転会したほどです。東京帝国大学在学中には内村鑑三(うちむら・かんぞう)の聖書研究会にも入門して、「札幌バンド」の新渡戸と内村から多大なる影響を受けています。

妻の房子(ふさこ)もクエーカーの普連土(フレンド)女学校で学び、生涯、クエーカーの信仰を持っていました。そして、この房子を前田に紹介したのも新渡戸だったのです。房子が55年に亡くなると、前田もその後7年間、クエーカーとして過ごしたといいます。

房子の弟の金沢常雄(かなざわ・つねお)は内村鑑三の弟子で、無教会の独立伝道者でした。娘の美惠子は19歳のとき、この叔父に連れていかれた多磨全生園でハンセン病患者と出会い、医師として彼らに仕えようと生涯の目的が定まったと語っています。

前田の次女、勢喜子(せきこ)が結婚したのはソニー創業者の井深大(いぶか・まさる)で、前田は公職追放後の1946年、東京通信工業(後のソニー)の初代社長に就任しました。井深は親戚に井深梶之助(いぶか・かじのすけ)や井深八重(いぶか・やえ)がおり、大学時代に日本基督教団・富士見町教会に通って洗礼を受けたクリスチャンです。

この記事もおすすめ