14 家に帰してあげたかった
雪深い山陰の地にも、やがて春は訪れた。
家庭集会の帰り道だった。私は先生の運転する車にひとり後ろに乗っていた。まっすぐ走れば車はまもなく教会に着くはずだった。
「花見をしてから帰ろうか」
声と一緒に車が突然右に曲がった。
鳥取は街の中央に袋川という川が流れており、その川沿いには桜が植えてあった。春には毎年花が咲き、夜には提灯の灯がともって美しい賑わいを見せている。車はその袋川の土手沿いを、スピードをおとしてゆっくりと進んでいった。
「去年なあ……」
しばらくしてポツンと先生がいった。
「川本さんとここで花見をしたんだよ」
川本さんは老人ホームに入っていた教会の信者だった。この年の2月に亡くなったばかりの人だ。
「ある日、家内と一緒にホームにお見舞いに行ったら、川本さんがどうしても家に帰るってきかんでなあ。家にはもう電話で知らせてあるいうて、あんまりいうんで、ふたりして川本さんの家に連れて帰った。でも家に着くと案の定、家族は、ホームに連れて帰ってくださいというんだ。川本さんは、絶対いやだ、家にいたいというてな。仕方ないから家内とふたりで、なだめてなだめてやっと車に乗せたんだが……。帰り道、桜が満開だった。『川本さん、花見をしてから帰りましょう』いうて、3人でここで桜を見たんだ。川本さん、気の毒でなあ。でも、わしもどうすることもできんし、ただ黙ってこうして花を見とったんだ」
フロントガラスいっぱいに、薄紅色の桜が枝をのばしている。風に散らされた花びらは、歌うように優しく空に舞っていた。
「桜を見ると川本さんを思い出すなあ。亡くなる前、いっぺんでもいい、家に帰してあげたかった。あんなに家に帰りたがっとったのに……」
運転席の先生の顔は見えなかった。ただ声だけがいつもよりいっそう静かで、染み入るように車内に満ち渡った。(つづく)