メソジストのキリスト教学校、鎮西(ちんぜい)学院(長崎県諫早市)では8日、3年ぶりとなる「平和大行進」、9日には毎年恒例の「平和祈念礼拝」および祈念碑への献水・献花式が行われた。
1945年8月9日午前11時2分、長崎市に投下された原子爆弾よる死者は、当時の長崎市の人口24万人(推定)のうち7万4000人に及ぶ。人類史上、核兵器が実戦で使用されたのは6日の広島が最初で、9日の長崎が現時点で最後。当時、爆心地から南に約500メートルにあった旧校舎は壊滅し、教職員9人、生徒130人余りが犠牲になった。
平和大行進は、旧校舎があった現在の活水学院中学校・高校(長崎市宝栄町)から現校舎まで、約30キロの道のりをリレー形式で行進するもので、今年は約1300人が参加した。行進には、同学院の学生・生徒・園児をはじめ、OBや保護者、近隣の中学生、一般市民なども加わった。
同学院総宗教主事の鐵口宗久(てつぐち・むねひさ)さんに話を聞いた。
「平和大行進の出発式では、活水高校の生徒から鎮西学院高校の生徒に、『命の水』が入った手桶(たおけ)が手渡されます。生徒たちはこの『命の水』をバトンにして、当時、『水をください、水をください』と言いながら亡くなっていった被爆者の方々を覚えながら行進をします。
私たちが生徒によく伝えているのは、『自分たちにできることをやる』ということ。私たちの活動は小さなことかもしれませんが、決して無駄ではないし、積み重ねていくこと、続けていくことが大切なのです。
長崎で生まれ育った子どもは、幼い頃から少なからず戦争について学んできています。本学院でも、学校内に『平和祈念ミュージアム』を設け、戦争や平和について日常的に学んだり、話し合ったりする機会を設けていますが、在学中に平和大行進で歩いた記憶が、改めて平和について考えるきっかけになってほしいと思います。
また、9日に行われる平和祈念礼拝では、平和をテーマにした説教がされるほか、原爆によって亡くなられた先輩方の文章が朗読されます。その後、学院本部棟前に場所を移し、午前11時2分のサイレンに合わせて平和の鐘を鳴らし、黙祷をささげます。
『平和祈念碑』と、原爆で亡くなられた方の名前が刻まれた『原子爆弾死没者慰霊碑』に献花・献水をし、2005年に採択した本学院の『平和宣言』を参加者全員で読み上げます。
最近では、ご高齢などの理由で、長崎市の平和祈念式典への参加が難しくなってきたという方のご参加も増えています。学院に集う若き魂と思いを一つにして神に平和を祈り、平和への思いを受け継ぐ場所が与えられていることにはとても感謝しています」
鎮西学院の『平和宣言』は、以下のとおり。
幸福(さいわい)なるかな平和ならしむる者(マタイ5章9節)
War is Hell
悲惨な被爆体験を持つ鎮西学院は
神の前に深い罪を悔い改め
核廃絶とあらゆる戦争をなくすために祈り
地の上に真の平和を来たらすことを宣言する
(2005年8月9日 被爆60周年の日に 鎮西学院)
平和宣言にある「War is Hell」(戦争は地獄だ)とは、1945年当時、学院長を務めた千葉胤雄(ちば・たねお)氏の被爆時の叫びだ。
「長崎は、原子爆弾が人の命を奪うために使われた最後の都市です。それ以来、74年間使われずに来たのは、ただ『使わなかった』わけでありません。現に米国では、『戦争を終わらせるためには核が有効だ』と考えられていますよね。にもかかわらず、その後に使われないのは、被爆者である先輩方や、その思いを受け継いだ私たちが、その恐ろしさや悲惨さを伝え続けることで『使わせなかった』んです。これは、先輩方が勝利してきたことであり、これから先も勝利し続けなくてはならないのです。
現在も長崎には、原爆の後遺症に苦しむ方がたくさんいらっしゃいます。また、教職員や生徒の中にも、身近に被爆者がいるという者も少なくありません。だからこそ、『長崎を最後にする。もう2度と使わせない!』と発信し続けていく。それが長崎にいる私たちの使命だと考えています」
鎮西学院は1881年、メソジストの宣教師C・S・ロングによって創立された。建学の精神は「品性高潔なるクリスチャン・ジェントルマンの育成」。校訓(スクール・モットー)は「敬天愛人」。キリスト教による教育を最も大切なものとして、毎日の礼拝やさまざまなキリスト教行事を通して、自分と隣人を愛する学びの時が数多く持たれている。