幕末の「信徒発見」から154年目の記念ミサが17日、大浦天主堂(長崎市南山手町)であった。カトリック長崎大司教区の高見三明大司教が司式し、信徒ら約300人が参列した。
1865年3月17日、完成したばかりの大浦天主堂(当時「フランス寺」と呼ばれた)を浦上の潜伏キリシタン十数名が訪れ、フランス人のプチジャン神父に自分たちが信者であることを告白した。この「信徒発見」のニュースが当時の教皇ピオ9世に知らされたとき、教皇は感激して「東洋の奇蹟」と呼んだという。このミサは毎年3月17日に行われている。
プチジャン神父の手紙には次のようにある。
「きのう12時半ごろ、男女子どもを合わせた12名ないし15名の一団が、……天主堂の門に立っていました。……40歳ないし50歳くらいの女性が私のすぐそばに来て、胸に手をあてて申しました。『ここにおります私どもは、みなあなた様と同じ心でございます』」(結城了悟『日本とヴァチカン』女子パウロ会)
しかし67年、信仰を表明した浦上の村民が大量に捕縛され、拷問を受けた(浦上四番崩れ)。そして、3394人が全国20藩に「流罪」とされることになり、662人が命を落とした。各国公使が繰り返し抗議し、岩倉使節団も海外で禁教政策を激しく非難されたため、73年、キリスト教禁教の高札が撤去されるとともに、信徒も釈放された。