Q.聖書にも誤訳があると聞いたのですが、やはり原語で読むべきでしょうか?(40代・男性)
新約聖書の原語はギリシャ語、旧約聖書の原語はヘブライ語ですが、聖書を原語で読むことのすばらしさは、写真で見た美しい風景を実際にこの目で見るすばらしさにも譬えられるように思われます。
聖書の翻訳は、聖書の原語に通じているだけでなく、聖書時代の歴史、政治、文化等の時代背景に関する深い知識を持つ、多数の当代一流の研究者が互いに協力し、時間をかけ忍耐をもってなす大事業ですが、それでもなお聖書の翻訳は常に決定版とはならず、いつも次の改訳が必要とされます。
この意味で、聖書の翻訳は終わることのない事業であり、改訳の度に常に新しい解釈や表現が取り入れられていくもののようです。
聖書の訳に関心を注がれる場合、英語を含めいくつかの訳を比べてみるのは大切なことですが、その他に、新訳聖書の場合は訳に関するすぐれた解説書がでていますので、これらを参考にされるのもよいのではないでしょうか。
聖書を原語で読めるようになるには、時間的にも、エネルギーの上でも、膨大な努力の積み重ねが必要と思われます。
しかし、原語で読むというレベルには達することができない場合でも、原語の聖書を手にしてギリシャ語やヘブライ語の文字に接し、その文法を部分的であったとしても理解し、その単語をいくつかないしは数十あるいは数百覚えるならば、それぞれの努力にふさわしい信仰の恵みが与えられるに違いありません。
訳の誤りを知るために聖書を原語で学ぼうとするのは遠大な目標ですが、学ぶ程度に応じて与えられるものは大きいと思います。
「天にまします我らの父よ」に始まる主の祈りを原語で口に出してみるならば、2千年前、ガリラヤのどこかの山の上で多くの貧しい民衆に囲まれて、あるいは少数の弟子たちに囲まれて、この祈りを教えられた主イエスの存在が身近なものに感じられるでありましょう。
しらい・さちこ 青山学院大学文学部を卒業後、フルブライト交換留学生として渡米。アンドヴァー・ニュートン神学校、エール大学神学部卒業。東京いのちの電話主事、国立療養所多磨全生園カウンセラー、東京医科大学付属病院でHIVカウンセリングに従事した後、ルーテル学院大学大学院教授を経て同大名誉教授。臨床心理士、米国UCC教会牧師。