Q.イエス様は「律法の文字から一点一画も消え去ることはない」と言われましたが、教会の中では国の法律や教会の規則にも否定的な空気が流れています。律法や法律・規則などにどう対処したらよいのでしょうか?(50代・男性)
「律法と福音」というのは宗教改革以来の神学的なテーマですが、日本の教会では、律法と福音とを対立的にとらえて、福音を重視するあまり、律法を軽視、無視、否定する傾向が強いように思います。それには日本の歴史的、社会的背景が影響しています。
西欧では「法は権利の体系」ととらえ、法律によらなければ権利も認められないが義務も負わせられることがないと考えられていますが、東洋では、法律は統治者が民を強いて動かすための「統治の手段」と考えられてきました。したがって、法律は、西欧では民に支持されますが、東洋では嫌われます。特に、「日本人の法律嫌い」は国際的に有名です。
もともと法律嫌いという社会で説かれると聖書の律法や十戒も、雰囲気が変わり、意味も違ってきます。律法も十戒も軍隊的な命令のようにとらえられがちですが、本来、契約なのですから、上から押し付けられる強制命令ではなく、合意によって成立し、自主的に守るものなのです。
西欧のローマ法は民法が基本ですが、東洋の律令は、文字通り、律(刑法)と令(行政法)です。神の法を「律法」を訳したものですから、「刑法」という誤解されかねません。「十戒」も、武器を両手にして戒めるという「戒」の字を用いていることから、「懲戒処分」「厳戒」「警戒」「戒具」など、好ましくない意味にとらえられがちです。
聖書の律法も、国家の法律も、教会の規則も、強制命令としてではなく、自分と神・国家・教会という視点でとらえ直してみると、見方も変わってくるのではないでしょうか。神との関係や教会は一人ひとりの個人的な信仰告白で成り立つ契約関係ですが、日本国憲法には、国政も国民の信託による(つまり、契約関係)と書かれています。この国でも、キリスト者が範を示すべきでしょう。
*本稿は既刊シリーズには未収録のQ&Aです。
さくらい・くにお 1947年、三重県生まれ。名古屋大学法学部卒業、同大学院博士課程(民法専攻)、東京基督神学校、米フラー神学大学大学院神学高等研究院(組織神学専攻)、高野山大学大学院(密教学専攻)を修了。日本長老教会神学教師、東京基督教大学特任教授。著書に『日本宣教と天皇制』『異教世界のキリスト教』(いずれもいのちのことば社)、『教会と宗教法人の法律』(キリスト新聞社)ほか多数。